鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しています。

投稿記事397記事 ロールモデルの変遷 万世橋の銅像

A「本日のブログ記事の投稿により、記事投稿総数が397となり、とりあえずの目標とする400記事まであともう一息といった状況になります。

そして実際にそうなってみないと分かりませんが400記事に到達しますと自身の内面において何かしら変化が生じるのでしょうか・・?
あるいは自身の外においてもまた、何かしら面白いことが生じるのでしょうか?
あるいはまた、双方共に生じるのでしょうか・・?

しかし、たとえ何かしらそうしたことが生じたとしても、それは自身にとって必ずしも良いとは言い切れないのかもしれません(長い目で見た場合をも含めて)・・。
それ故、今後、上に記したようなことはあまり念頭に置かず、ただ出来るだけ無心になり、もうしばらく記事作成を継続しようと思います・・。
とはいえ、ブログ記事作成におけるある程度大きな区切りに近づきますと、やはり多少なりとも、上のようなことを考えてしまうのが自然なのではないでしょうか・・・(苦笑)?(果たして本当か?)

また、不思議なことに、そうしたことを考えはじめますと、そちらの方に想念が奪われる、集中するためか、肝心のブログ記事の着想が思うように浮かんできません・・(苦笑)。

そして、現在記しているこの文章とは、一通りそうした想念に捉われた後「本日分のブログ記事は書籍からの抜粋にしようか・・。」とあきらめ半分に考え始めた頃「いや、それであれば、そうした現在の想念そのものをブログ記事として記せば良いのではないか?」と考えを改め、如上のような次第となっております(笑)。

とはいえ、ここまで記しますと、今度はそこから先の文章が思い浮かばず、一端キーボードから手を離し、ひとしきり何かしらの着想が浮かぶまでボーッとすることになります・・(苦笑)。

また、ここでジタバタして「何かしらの着想が浮かぶのではないか?」と考え、傍らにある書籍などに手を伸ばすことは往々にしてあまり良い策ではなく、逆にその書籍に飲まれてしまい、着想どころではなくなることが私の場合少なからずあるようです・・(苦笑)。

そして、このように文章の着想が浮かぶまでの経過を着想として扱い、それを記していますと、果たして如何なる着想が浮かぶのであろうかと考え、そのままを記しておりますと不図思い起こしたのは、昨日投稿したブログ記事への反応であり、これはまた私にとって新鮮なものであり、下に示す考えがそこから得られました・・。

昨日投稿したブログ記事最終部近くにて「我が国における(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像とは近代の西郷隆盛で終息、終焉したのではないか?」といった意味のことを記しました。

しかし、もしかすると、それは太平洋戦争の敗戦(以降しばらく)まで万世橋に立っていた銅像のモデルもまたそうであったのかもしれません・・。

とはいえ、この戦後に撤去された銅像の周辺、つまり東京都千代田区には、他にも戦前からの銅像が比較的多く存在し、本日も大山巌品川弥二郎銅像の横を通りました・・。

では、なぜこの万世橋銅像とは撤去されなければならなかったのでしょうか・・?

これには諸説あり、現在なおその確たる背景、真相とは見出されていないようです・・。

あるいはまたその背景、真相とは見出されると面倒な何かがあるのでしょうか・・?

とはいえ、おそらくそこには近代日本史あるいは我が国国民性の暗部といったものが少なからず隠されているのではないかと思われますが如何でしょう・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。
さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の地域、県全体の復興を祈念しております。」

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自己について・・

A「本日は日中気温が上昇し、多少暑くも感じました・・。

さて、先日電話口にて久しぶりに文系院時代の知人と話す機会を得ましたが、どうにか文系学問特有の世界、会話について行けたのではないかと思います・・。

しかし同時に、以前に比べ、色々と忘れている部分もあり、自身としては口惜しい部分もまた(少なからず)ありました・・・(苦笑)。

そして本日は、何人かの歯科医師の先生と話す機会を得ましたが、ここでもいくつかの歯科分野の会話にどうにかついて行けたのではないかと思います・・。

また、ここにおいてもさきと同様、少なからず忘れている部分があり、自身の勉強不足、記憶力の悪さが悔やまれました・・。

しかしながら、自身のことを誇るのわけではありませんが、こうしたいくつかの学問分野での(ある程度専門的な)会話について行ける私とは、一体何者であるのかと時折考えてしまいます・・(苦笑)。

ともあれ何れにせよ、その根本、基層には、いくつかの結節点を持つ文系学問の多少オカシイ(極めて個人的な)体系らしきものが存在するのではないかと思われます・・。

そして、このオカシイ学問体系とは、主に和歌山、東京そして鹿児島にて形成されました・・。

また、これは一応学位の分野としては「歯学」となっておりますが、取得後の経緯などを踏まえますと、私個人の意見として時折「こうなってしまった以上、分野などは別に何でもいいのではないだろうか?」と考えてしまうことがあります・・(苦笑)。

果たしてこうした意見とは(私の場合)傲慢不遜なものなのでしょうか・・?

しかし、それはともかくとして、現在ここまでブログ記事を継続して作成することが出来ている背景とは、さきに述べた三つの地域にて形成された学問体系らしきものに因ることは、たしかであると思われます・・。

あるいは異言すると、それら何れかの経験が欠けていても、それは出来なかった、出来ないと表することが出来ます。

そしてもちろん、投稿した一連の記事を読んで頂いた方々がいらっしゃったからという大前提が存在しますが・・。

とはいえ、こうしたブログ記事の作成に対して「のみ」それらの経験が生かされると考えるのもいささか悲しいものであり、そのため今後も自身の望む大学職種(主にコーディネーター、研究支援専門職員など)に応募するつもりです。

・・色々と考えてみましたが、どうやら私とは教育の過程によりそうなったのではなく、どちらかというと生まれつき(生来)に近い部分より多少オカシイところがあり、そのために様々な必ずしも必要でない面倒に遭遇することになりましたが、また、それと同じ理由により、さきに述べたようなオカシイ体系を持った私となり、また、それをどうにか認めてくれる方々にも出会うことができたのではないかと考えております・・。

そのように考えてみますと、他の運はさておき、二十一歳以降の人間運に関しては、私は相対的に見てもかなり恵まれている方ではないかと思うのです・・。
さて、如何なものでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの速やかな復旧、そしてその後の復興、またそれに加え、昨晩に鹿児島県奄美地方において発生した地震による被害が出来るだけ軽微であることを祈念します。」

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主に書籍からの抜粋 立国の根本とは・・

A「本日2016年8月15日分のブログ記事とはインターネット接続が出来ない環境にて作成しております。

こうしたインターネット接続が叶わない環境にてブログ記事作成を行うのは、かなり久々であり、仕方なく白紙のワード文書にて作成しはじめました。

とはいえ、このような若干の環境の変化により記事が思い浮かばなくなるということもなく、如上のように何かしら記しはじめた次第です。

さて、本日は終戦(敗戦)記念日であり、また同時に我が国の暦上においてはお盆(祖霊を祀る行事)ということもあってか、本日の通勤電車は普段に比べ幾分か空いておりました。


また特に本日8月15日は終戦(敗戦)記念日ということからではありませんが、久々に丸山眞男著・筑摩書房刊の「忠誠と反逆」を取り出し読んでみました。


そして、この著作表題となっている「忠誠と反逆」




ISBN-10: 4480083987
ISBN-13: 978-4480083982

(pp.7-136)とは、現代の我々が読んでみてもたいへん興味深い内容であり、就中その中の福沢諭吉の思想について触れた部分とは、我々日本人の近現代史(あるいはそれ以前をも)を考える上で大変興味深い記述が散見されるのではないかと思われます。


では、その一節を下に示します。

PP.55-58

「天下の大勢」という客観的な法則はあくまで法則であり、「勝てば官軍」という事実はあくまでも事実である。
しかしこの法則なり事実が自我の次元において忠誠転移の根拠になり口実となることに福沢は我慢がならなかった。

いわゆる絶対的な名分論がもし純粋に自我に内面化されたものならば、それは「盲目」であり「愚鈍」ではあっても、こうした滔々とした転向は生まないはずである。

とすれば「今の所謂大義名分なるものは、唯黙して政府の命に従ふに在るのみ。」したがって万一、西郷の企てが成功したならば、おそらく現在西郷に逆賊のレッテルをはっている役人どもも「寝返りの易くして神速なるべきは智者を俟たずして明」らかであり、「其、新聞記者の如きは展転反側の最も自在にして最も妙を得たる者なるが故に、忽ち筆を倒にして後へを攻め、以て正三位陸軍大将西郷隆盛公の盛挙を賛成」するだろう。

「実は人民の気力の一点に就て論ずれば、第二の西郷を生ずるこそ国の為に祝すことなれども、其これを生ぜざるを如何せん。余輩は却て之を悲しむのみ」。

この立地点が、後年、勝海舟榎本武揚の行動を「三河武士の精神に背くのみならず、我日本国民に固有する痩我慢の大主義を破り、以って立国の根本たる士気を弛めた」ものとして痛烈に論破した「痩我慢の説」にまっすぐ連なっていることはもはや喋々を要しない。

福沢における「痩我慢」の精神と「文明」の精神と、「士魂」と「功利主義」との矛盾あるいは二元性ということがしばしば指摘される。

抽象的に二つの「イズム」をとりあげるならば、たしかにそうもいえるだろう。

しかし思想史の逆説と興味は、まさにそうした抽象的に相容れない「イズム」が、具体的状況のなげかけた「問題性」に対する応答としては結合するというところにある。

あたかも幕末動乱に面して武士における家産官僚的要素と戦闘者的要素とが分裂したことに照応して、忠誠対象の混乱は、「封建的忠誠」という複合体の矛盾を一挙に爆発させた。家産官僚的精神によって秩序への恭順のなかに吸収された君臣の「大義」は一たまりもなくその醜い正体をあらわした。

しかもいまやその同じ「秩序への恭順」が皮肉にも「上から」もしくは「外から」の文明開化を支える精神として生き続けているではないか。
矛盾したものの結合は実は福沢の批判する当の対象のなかにあるものであり、「近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如し」という状況判断に立った福沢は、右のような形の「封建性」と「近代性」の結合を逆転することで―すなわち、家産官僚的大義名分論から疎外され現実の主従関係から遊離した廉恥節義や三河(戦国!)武士の魂を、私的次元における行動のエネルギーとして、客観的には文明の精神(対内的自由と対外的独立)を推進させようとしたのである。


「丁丑公論」における「抵抗の精神」の力説と、「学問のすすめ」や「文明論之概略」における「人民独立の気象」の要請とは、こうして福沢の立場においては密接につながっていた。

たしかに福沢は「封建的忠誠」の分解をラディカルに推しすすめたが、その作業は、単純に「封建的」に代わって「近代的」なものをすげかえるのではなくて、現実に進行していた解体を利用して、その構成契機の役割を転換させることにあった、封建的忠誠における外面化の傾向をしてむしろ徹底させ、これをパブリックなものに高めよ。そのことによって私的=心情的契機はかえって個人の内面に定着するだろう―これが維新後の「集団転向」の現実を前にした福沢の苦肉の処方箋であった。
葉隠」の非合理的な忠誠が逆説的に強烈な自我の能動性をはらんでいたのとちょうど裏腹の関係で、福沢はむしろ非合理的な「士魂」のエネルギーに合理的価値の実現を託した。

「本来忠節も存ぜざる者は終に逆意これなく候」というのが「葉隠」のダイナミズムであったとするならば、逆に、謀叛もできないような「無気無力」なる人民に本当のネーションへの忠誠を期待できるだろうかというのが、幕末以来十余年のあわただしい人心の推移を見た福沢の心底に渦まく「問題」だったのである。」



さて、上掲の著作が著されて(1960)から半世紀以上経過しております。

そして、意外ではあるかもしれませんが、ここに述べられていることは現在の我が国諸々を考える上においても示唆するものが多いのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

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文章、文体、認識の枠組みについて・・

A「先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は第二部の200頁まで至りました。

こうした長編小説とは、ある程度期間のインターバルを設けて読むと、読書の進行が多少早くなるものであるのかもしれません・・(笑)。

また、この著作は自身の感想としては大変面白く、おそらくこの土・日曜日の間に第二部もまた読了に至るのではないかと思われます・・。

そしてその後さらに第三部(最終部)読了に至ったならば、今度は同著の英訳版を購入し読んでみようと考えております・・。

英訳された日本の小説とは、著作によっては(私にとって)大変高価なものもありますが、幸いなことに、この著作については比較的手頃な価格にて求めることが可能であるようです。

また、以前投稿したブログ記事においても記しましたが、この著作は、現代の若い方々が読まれると何か面白い、不思議な感覚、認識を得ることが出来るのではないかとも思います。

いや、こうしたことはむしろ一般的であり、あるいは論理一辺倒の科学的な論文などにおいても同様であるのかもしれませんが、我々とは、何かしらの著作、文章を読むことにより、肯定的、否定的であれ、そこから様々な感覚、認識を惹起します。

そして、その(感覚、認識の)蓄積、そしてそれらの精神内部における経時的な反応、化合等に加え、実際の経験を積むことにより、より大きな観念、思想といったものの核が徐徐に形成され、それが様々な形で文字、言語を以て表出されることにより、明瞭化、体系化された観念、思想と称するに堪えうるものとして顕現に至るのではないかと思われます・・。

そして、こうした営みとは無意識である場合も多いのではないかと思われますが、何れにせよ殆どの方々が日常的に行っていることであると考えます。

ただ、そこで特に重要であると思われることは、実際の経験とは、各人各様に日常生活を送る上にて得ているのでしょうが、それ(経験)を認識するための、あるいは認識の枠組み(言語化、評価)を形成するための基盤、母材(マトリックス)として、何かしらの文章そしてその文体の果たす役割の大きさということです。

そして、これが各人各様である経験をある一定の方向へ収斂するものであると同時に、その個性、特徴を発揮する基盤でもあるということは、なかなか面白いことであると思われます・・。

その意味において広告、出版業界とは、依然として、ある程度大きな影響力を我々の社会に対し有しているのではないかと思われます・・。

しかしその一方、さきのブログにおいても記した通り、昨今、インターネットの普及により、膨大な情報が容易に広く入手可能となり、これまでのマスメディア、新聞、出版業界が関与、把持してきた認識の枠組みの重要性が希釈されつつあるということもまた事実であると思われます。

とはいえ、この認識の枠組みの重要性とは本質的(人間に付随する能力としての価値)には、希釈される性質のものではないと考えます・・。

それ故、訪れつつある新しい時代においては、おそらく我々と文章そしてその文体(認識の枠組)の間にもまた、何かしら大きな変化が生じる、いや生じつつあるのではないかとも思われるのです・・。

それが如何なるものであるかは分かりませんが、あるいはこうしたこともまた、歴史の進行およびその方向性に対し、大きく関与しているのではないかと考えます。

また、それが古来より云われている「言霊」に関連するものであるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震、昨今山陰東部にて発生した大地震により被災された地域の今後出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」

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「研究の進化・深化・未来そして「語るに落ちる」・・

A「本日の首都圏は夕刻より雨が降っております。
また、現在は小降りにはなってきておりますが、このまま明日早朝までは降るとのことです・・。

さて、昨日投稿の記事により総投稿記事数が485に達しました・・。

そして500記事到達まで残り今回の投稿記事含め15記事ということになりますが、ここに至ってまた、不図考えたことは以下の通りです。

「たしかにその通りではあるのだが、その一方で、あまり芳しくない出来と思しき記事も中には少なからず存在するものと考えられる・・これらに関しては、それら記事を削除するよりも、そのまま保持し、更なる記事の投稿を以て、実質的な意味で500記事到達にすれば良いのではないか、そして、それ以前にとりあえず目標としている、全体としての500記事到達を目指す方が先決はあるまいか・・?」

と考えるに至り、勇気をもって棚上げし(笑)以降、記事作成を続けることにしました・・(笑)。

そういえば、先日の「楡家の人びと」読了以来、大きな著作、長編には手を出しておりませんが、先週末に不図、朝永振一郎著の「量子力学と私」を読んでおりましたら、ついつい引き込まれてしまいました。

無論、そこに記されている専門的な概念、用語などは分からないものが数多くありましたが、それでも我が国の量子力学の黎明期である昭和初期(大学にその研究を教えることが出来る先生がいなかった)に著者を含む若い知性等が文字通り泥縄式に様々な手法を試み、互いに切磋琢磨し、徐徐にその学問(量子力学)を我が国に確立していく様が感じ取れ静かな興奮をおぼえました・・。

また、それと同時に今現在の未知の分野に挑んでいる方々も、おそらく表層からはあまり分からないのでしょうが、この著作に記されているのと類似した状況にあるのではないかと思います・・。

また、これが文系学問における研究となりますと、ハナシは多少異なってくるようであり、何と言いますか「自身が研究している内容に世の中の動きが追いかけてくる」といったところがあるのではないかと思われます・・(笑)。

このようなことを記しますと「それは単なる勘違い、迷信である!」と仰る方々が少なからず出てくるのではないかと思います・・。

また、自身も他者の研究にて、そうした現象を何度か認識、発見する以前は、概ねそのよう(勘違い、迷信)に考えておりました・・(自身もそうした錯覚らしきものを感じたことはあります・・(笑)。)

そして、こうしたことを記しておりますと「何か世の中の重大な秘密を漏らしているのではないか?」といった幾分誇大妄想的な考えが湧いてくるのですが(笑)、果たしてこれは、そこまで重大な「秘密」であるのでしょうか・・?

あるいは単なる勘違い、迷信といったものであるのでしょうか?
ともあれ、それは何れであっても構いませんが、ただ思うことは、我々人間とは、何かに継続的に無心に打ち込んでいる時に得ている不可知の感覚により、半ば無意識的にではあるかもしれませんが、一時的に少し先(未来)の集合的無意識の世界への視野が開かれるのではないでしょうか・・?

しかしながら、これを記していて不図思ったことは、こうした感覚を得ることは、何も文系学問に限らず、理系学問においても同様に生じており、また、さきに挙げた著作量子力学と私」に描かれている内容の一側面も実はそうしたものではないかということです・・(笑)。

「語るに落ちる」とは、こうしたことかもしれません・・(苦笑)。

ともかく、そのように考えが落ち着いてきますと、私は「文系学問とは・・・」と、その重要性や特徴を述べながら、次第にその内容が広がり、文系のみに適応する内容ではなくなるといった傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。

よく云えば内容に普遍性があるのか?あるいはベッタリとして特徴がないということになるのか分かりませんが、しかし、それでもこうした考えを文章として記しておくことは、未来の笑いのタネを提供するかもしれないという意味においては、わずかに有益であるものとします・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部の大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」

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性格、性質の根源および教育などについて

A「最近求職活動の方は順調ですか?」


B「ええ、まあボチボチ動きはあるのですが、まだ口外できる程のものではありません・・しかし以前よりも何故だか少し進展しやすくなってきたような感じを受けるのですが、これは景気の為でしょうかね?」


A「・・それはよくわかりませんが、比較的順調に進んでいるのでしたら良いと思います。
あと他に何か変ったことなどはありましたか?」


B「・・そうですね、これまで何度か学位など持っていなければ良かったと求職活動を通じて思いましたが、それは今考えてみますと、もしかしたらブラック企業避けの意味はあったのではないかとも思います・・(苦笑)。
ですから、これはこれで良かったのかもしれません・・未だその判断をくだすことは難しいですが・・。
ともあれ、文系、理系何れであれ、学位とは、あれば、あった方が良いのかもしれません・・。
まあ、私の場合かなり特殊ではありますが・・(苦笑)。
それと、つい先日、履歴書を手書きで書き、出来上がったものを見てみますと、我ながらその悪筆ぶりに多少辟易としたのですが、このことから、手書きの文字は上手い方が良いとは思いますが、しかし一方において、悪筆であることを常識的でないと見るような傾向があるとすれば、それは迷信に類する偏見であるのではないかとも思うのですが・・。
そのことを自身に即していいますと、私は自然な悪筆を生む左利き(笑)であり、且つ周囲にいうとあまり良い顔をされない血液型の代表であるB型でもあるのです・・。
この二つの要素が重なると変っていると思われるのが通例であり、このことに関しては私自身一時期多少深刻に悩んだこともあります・・(苦笑)。
しかし、私の師匠の御一人もこの二つの要素を兼ね備える方であり、また、そのことを周囲に誇り「左利きのB型は天才肌である。」と仰っていて、そこから単純に勇気を与えられ、その後益々この師匠を師事することにしました(笑)。」


A「・・ううむ、私もたしかに手書きの文字はあまり自信がなく、むしろ逆に積極的に下手な方であると思いますが(笑)、それでもそこから何かしらの実害をこうむったような経験は無いような気がしますが・・。
また、その「左利きのB型は天才肌」というのは本当なのですか?」


B「その点は私自身検証したことはないので、何ともいえませんが、ただ、その師匠はやはり様々な意味で突出している才能を持っておられるのではないかと感じさせることが多くありました・・。
具体例は個人特定になるかもしれませんので言いかねますが・・。
また、私に関していえば、おそらく才能、知能の明暗が割合はっきりしているのではないかと思います・・。
ですから就く仕事に関しては、かなりシビアに選択しなければならないのではないかと思います・・。
これを「わがまま」といわれたらそれまでなのですが、一方誰でも自信を持って自身の仕事をしたいと思うことは自然であると思いますので、それは何といわれようとも、単なる干渉の域を出ないのではないかと思いますが・・。
ともあれ、私の場合、具体的には何故だか学校の成績とは関係なく歴史、社会は変らずに好きでした・・また途中から現代文なども好きになって行きました・・。
ですから徐々に好きになってゆく科目が増えていったような気がしますね・・。
そして、その核となったものが私の場合やはり歴史、社会であったのではないかと思います・・。
また、その原因とは構造主義的に考えれば周囲の環境であり、具体的には、そういった知識、世界観を面白く話してくださる方々が多かったからではないかと思います・・。
その意味において、さきの師匠もAさんも同様に私に対し、かなり大きな影響を与えてくださったのではないかと思います・・。
しかし同時に私の場合、一つの研究分野における圧倒的な知識およびその自覚といったものがなく、それが私の強みであり同時に弱みではないかと思っています・・。」


A「ふーん、そんなものですかねえ・・。
まあ、それでもたしかにBさんはこれまでに幾つかの学問分野を横断してきたことから、周囲には様々な分野の方々がいると思うので、そこからBさんのようになるのはもしかしたら自然であるのかもしれませんね・・。」


B「ええ、それに加えて私個人の自覚、知覚として修士院生の頃に様々な専攻の院生達が集まり、色々と議論した経験がその後大きな影響を与えたのではないかと思います・・。
そして、その経験がなければ、先ほどの左利きのB型の師匠に巡りあうことも出来なかったと思いますし、また様々な貴重な経験を得ることもできなかったのではないかと思います・・。
ですから私からすれば、修士院生時のこの議論の経験とは、決して意図された作為的なものでなく、自然な流れでそうなったと思うのですが、実はそれが大変良かったのではないかと思うのです・・。
そして、この個人的経験を踏まえ、思うことは、現在の特に地方国公立大学に対する文系不要論的な圧力により、各々地方に根差し成長を遂げてきた大らかな、自由度の高い知性の発展を促すメカニズム、仕組みが大幅に阻害、封殺されてしてしまうのではないかという危惧です・・。
そして実はこのメカニズム、仕組みこそが戦前からの各地の文化に根差した旧制高校大学予科、旧制高等専門学校そしてその後継の高等教育機関が有していた良質な文化の真髄ではないかと思うのです・・。
しかしながら、たしかにこうした意見は単なるアナクロニズム、センチメンタリズムに基づくものであると考えられるかもしれません、ただ、こうした意見を云わせる程に現在の特に文系の高等教育機関を巡る状況は変転しつつあるのではないかと思うのです・・。」


A「・・・たしかに現在の高等教育機関の特に文系分野における状況は芳しくないでしょう・・。
そしてそれに対し唯々諾々と従わなくてはいけないことに憤りに近いものをおぼえることもあります・・。
しかし、私はこうした状況とは、たとえ少子高齢化が進行するとしても、そんなに長く続くものではないのではないと考えます。
各々の高等教育機関が本当にその地域の文化に根差したものであるならば・・。」


B「ええ、結局それも各々組織が立地する地域の日常的な文化との係わり合いが分水嶺、分岐点になるのだと思います・・。
ともあれ、これは決して楽観視はできないと思いますが・・。」

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日本刀について・・

ウィンストン・チャーチルの戦争についての記述」とあわせて読んでみてください。

A「やあ、久しぶり。最近調子はどうですか?」

B「ええ、相変わらずです。パートで働きながら求職活動を続けていますよ。」

A「そうですか、今度はあまり以前ほど手当たり次第に応募しない方が良いですよ。」

B「ええ、アドバイスどうもありがとうございます。
ですから今回は結構絞って行っているつもりです。
しかし、あまり絞り過ぎるのも良くないですからね・・この見極めが結構難しいのです・・。
そういえば、先日本屋に行きましたら、最近はどうも日本刀が静かなブームの様ですね。
関連する雑誌、書籍が多く出ていましたよ。
これは大変面白いですね。
最近の日本社会の排外的いや国粋主義的な傾向を示しているんでしょうかね・・?」

A「確かに城、甲冑、日本刀みたいなものが流行るのは大体そういう時期だと思いますから・・。
それに日本人の特に男性は日本刀にどうも強い思い入れがあるようですからね・・・
終戦直後にGHQがテコ入れしたくらいですから。
あと、それに加えて特に最近の特に若い世代について云えるのは幕末を舞台にしたものや、舞台、時代設定が和洋折衷の海賊を扱ったマンガからの影響などがあるのではないでしょうか?」

B「そうですね。バスケットボールのあの有名なマンガから例の海賊ものや巨人と戦うものまで、大勢でその背景世界、価値観を共有できるこれらのいわゆる「国民的」なマンガとは、ある意味、現代の神話といってもいいかもしれません。」

A「ああ神話ですか・・確かにそうかもしれませんね。
しかしそうだとすると、我々の世代の神話って何でしょうかね?」

B「我々の世代には沢山の操縦ロボットものに加え、昔からのマンガの巨匠の作品がまだ同時代のものとしてありましたから、それらが神話としてのマンガにあたるのではないでしょうかね?
しかし、私の場合どういうわけか途中から小説ばかり読むようになってしまいましたが・・。」

A「それでしたら私もそうかもしれません・・。
あと私の場合はこれまたどういうわけだか古典ばかり読むようになりましたね・・こういうのは環境あるいは自身の性質によるものなのかは今でもよくわかりません・・。
ちなみにBさんはどういう小説を読むようになったのですか?」

B「色々な話でよく出しているのでお分かりかもしれませんが司馬遼太郎はよく読んでいて、小学校高学年あたりから現在に至るまで、何となく引っ張り出してきては読んでいます。
そしてその当初の時期と被りながら夏目漱石、海外の作品などにも徐々に手を出すようになっていきましたね・・。
そういえば、先ほどの話に戻りますが、司馬遼太郎の作品にも日本刀にまつわる話が結構ありました・・。
例えば清河八郎と七星剣についてや、近藤勇の虎徹、沖田総司の菊一文字や、高杉晋作田中光顕をとり結んだ刀とか、坂本龍馬陸奥守吉行とか、まあ今ざっと思い出してもこれくらいあります。
しかし、よく考えてみると司馬遼太郎は戦時中に軍刀ですが実際に御自身で日本刀を扱っていたわけですが、それについての記述はこれまでに読んだ記憶がありませんね・・。」

A「まあ昭和の軍刀と日本刀はまた別物ですからね、確かに双方共に形状は似ていますが、大半の軍刀は大量生産のいわば工業製品ですからね。
さらに下士官用の軍刀などになりますと見るからに工業製品でして、これはこれで工業製品に見られるような実用的な美しささえ感じさせます。そしてこれらは当時、アメリカから輸入されたスクラップの自動車の板バネからも作られていた様で「スプリング刀」という言葉も確かその当時のものではないでしょうか?」

B「そうです。そしてそのあたりのことは確か山本七平著作に多く書かれています。彼も戦時中フィリピンの戦場にて実際に軍刀を扱っていましたから。
しかし、戦場における軍刀の様々な生々しい記録を読みますと、現在の日本刀ブームも何やら日本社会の持続する重低音の様な、あるいは流行神(はやりがみ)信仰の様にも見えます。
何故なら日本刀であろうと他の国のどの武器であろうと、武器は武器つまり人を殺す道具ですから、本質的に中国の青竜刀、コサックのシャシュカ、古代ローマグラディウスなどと変りはないはずです。
しかしそれでもその背景の物語、伝説などを絶対化し、特別視、神聖視しようとするのは北清事変における義和拳と同じ様な傾向があるのではないでしょうか?
そういうものは確かに人々をまとめ上げ、気勢を上げるのには有効であるのかもしれませんが、科学技術、知識がここまで発展、普及した現在においてはどうしても(局外者、部外者から見れば)アナクロニズム、時代錯誤的にしか見えないはずです。
そして、そういった時代状況においてもなお、こういった流行現象が見られるのはどうも不思議であり傍目からのん気に見れば面白いわけです。
さらに加えてこのテーマを戦時中に置いてみますと、第二次世界大戦当時の各国軍隊で指揮官クラスが戦場において帯刀していたのは旧日本軍ぐらいだったのではないでしょうか?
日本に西洋式の軍隊が導入された当時、つまり19世紀後半あたりにおける西欧諸国の軍隊では、それ(帯刀)が中世の騎士からの伝統で普通であったのかもしれませんが、その後の更なる銃火器の発展等による戦闘様相の変化から指揮官クラスの帯刀とは西欧諸国において不要、不都合なものとなり、徐々に廃れていった(下に示す動画を御覧ください。)のですが、日本においてはそれがおそらく同時期あたりから不思議なことに逆に活性化、強化された様に思われます。
これは日本が第一次世界大戦をその主戦場にて経験しなかったからであるという様な単純な外的要因によるものだけではないと考えます。
そして、さらにこれと類似の現象として、東アジア規模における日本の銅鐸、そして日本国内地域毎における銅鐸の意匠を含む形状、寸法などの相異が挙げられるのではないかと考えます。
そしてここまで考えると、今度は福沢諭吉の「文明論の概略」で述べられている日本人の好ましからぬ傾向としての「惑溺」が挙げられるのではないかと思います。
この福沢諭吉の云うところの「惑溺」とは、まあ平たく云えばフェティシズムみたいなもので、何らかの物体なり観念を絶対化して神聖視する様な傾向です。
こういうのは、あるいはまた別の云い方をすればカルトともなりますが、どうも我々日本人とはこういうものに大変弱いというか、受容的というか、よく分からない性質を持っていると思います。
そしてその背後にあるのがそういったフェティシズム、カルトの核となるものに対しての凝集性の強さ、あるいは凝固の早さが挙げられると思います。
これについて最近思うのは、よく云われる「空気を読む」の「空気」そしてその起因の背景には日本が比較的温暖湿潤な島国であることからこの様になるのではないかということですが。これは今後更に考える必要があります・・。」

A「最後の方はどうもよくわかりませんが、何となくは分かりました。そして追加として、先ほど私が云った舞台、時代設定が和洋折衷の海賊のマンガの作者は確か熊本県御出身なのですが、熊本と云えば、明治初期確か9年(1876)でしたかね?神風連の乱が起きた場所でしてね、これはその前に出された廃刀令に反対、抗議するものであり、先ほど仰った日本刀に対する、何ですか、その「惑溺」に関連するのではないかと思いました。
しかし同時に、こういった解釈で両者(神風連の乱、マンガ作者の出身地)を短絡的に結びつけるのも「如何なものか?」あるいは少し云い方は悪いかもしれませんがいかにも第三者的、外国人的すぎる発想であるのではないかとも思います。
何故ならば、この神風連の乱が生じるまでの経緯を在地者の視点で述べられている「石光真清の手記」などを読みますと、どうもその様な解釈とは、表層的過ぎる、あるいはその当時の決起した人々の止むに止まれぬ状況を無視し過ぎているのではないかと考えさせるからです。しかし一方において歴史とは、その様な主体者の事情、内実をも吞み込んで進行してゆくものであることから、こういうものを結びつける考察、解釈とは実に難しいのではないかと考えさせられます・・。」

B「それはまったく仰る通りであると思います。
そしてそれだからこそ、西郷隆盛は逆賊の将であると同時に英雄でもあるのではないでしょうか?
そして、これを一面的、一方的に解釈してしまっては、それこそ「歴史の神様に申し訳ない」のではないでしょうか?
また、本来こういったことは国内の歴史のみならず国家間の歴史の認識においても適応できるのではないかとも考えます。・・しかし、まあ、これが国際的なものだけに更に難しいのでしょう・・。」

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20151118 兄について・・

A「段々と寒くなってきていますが、体調はどうですか?」

B「ええ、体調は相変わらずですが、この時期になりますと6年前の丁度この時期に亡くなった兄のことを思い出しますね・・。
兄と私は小さい頃よくケンカをしたものでしたが、高校時代くらいから色々と話すようになりまして、私の南紀、和歌山在住時に関東の歯科大学の大学院生であった兄が何回か訪ねてきてくれました。その時、一緒に合川ダムに釣りに行ったり、陶芸体験をしたり、あとは県内の古墳巡りにも行きました。
その際に有田市の藤並神社境内にある泣沢女古墳を見学したのですが、関東ではあまり見られない普通の街並みの中にある神社境内に立地する古墳に感心したようで、説明板を読み、周囲を丹念に見回っていました。そして、説明板に古墳の被葬者が12歳程度の女性であると書かれていたのを読み、兄はおもむろに「うーん、これは多分上顎6番、第一大臼歯の咬耗の具合によってその様に考えられたのだろうな・・。」と言ったことを憶えています・・。
当時の私はその意味が分かりませんでしたが、後に歯科技工学校に入りその意味を知りました。」

A「ああ、もう6年になるのか・・あれはたしか2009年だったね。
Bさんもその時はずいぶんつらかったでしょう・・。」

B「ええ、あの時は鹿児島在住一年目でしたが、兄の死後3ヶ月程度はどうも事態が呑み込めず、ただ呆然とした状態であったことを憶えています・・。
忌引後、鹿児島に戻り数日後、講座によく来られる方々と話しをしていましたら、そのうちの御一人が鹿児島市内で開業されていた兄と同じ歯科大学御出身の歯科医師の一人が若くして亡くなられていることを世間話、井戸端会議の様に声をひそめながらも強調する口調で話された時はショックでめまいがしました。そして何故か拳を強く握り締めていました・・。
その方は性格の悪い方ではないと思いますので、もしかしたら、兄の死で呆然としている私に喝を入れる目的でその様なことをいわれたのかもしれません。
しかし、それでもこういったことをその時、その場所で普通に話しに出すことの出来るという、ある種のサディズム、嗜虐性とは、口ではどんなにキレイごとをいおうとも現実の我々の社会から絶対になくならないのではないかと思います・・。
また、こういった良くいえば野趣あふれる教育的な発言、悪くいえば、ことばの暴力ともいえるものは、先進諸国の中でも高い自殺率を誇る我が国においては、当然の様にあまねく存在するものであり、また特に日本社会に興味のある海外の方々は、こういった人の心を強く揺さぶる発言が、一見周囲にわからないように、記憶されないように、さりげなく為されているのが我々日本人の社会の一面であることを認識されると、より日本文化の深層への理解が深まるのではないかと思います・・。
そしてこれは民度の問題以前に、何といいますか業の深さに原因があるのではないかと思います。また同時に、これは地域、文化圏毎において大きくブレ、偏差があるのではないかと思います。」

A「うん、ちょっと迷信じみているような感じもするけれど、日本社会一般にはたしかにそういったドロドロとした一面があるね・・。
実際私もそういった経験は君よりも多くあると思うけれども、そこで大事なのは、その後で少し間を置いてから激昂せずに冷静に指摘することではないかな・・?
まあ、しかしそれ以前に問題であると思うのは、表面的な態度は現代的であり洗練されていても、その内面、中身においては、どす黒い情念が渦巻いているような行為態度を何やら良いものとしている社会であり、また、そういった行為態度を大人の常識、洗練されたものとして身につけていかねばならない若い世代は大変痛々しいものがあるねえ・・。
その意味で現在進展中の国際化とは、こういったドロドロした因習的な要素が以前よりかは若干希薄にもなるのかもしれないが・・。
あるいは若い頃の能動的な激しい運動によってあらかじめ昇華するべきものなのかもしれない・・。
いや、それよりも若い世代は、もし本当に必要であると思うならば、団塊の世代がかつてそう試みた様に、その時代の覇権を握っている方々を物理的な方法で排除して構わないのではないかとも思います。
結局将来においてツケを支払わせられるのは彼等であるのだから、そのくらいの権利は行使しても良いのかもしれない・・。
また、最近のお笑い界で私が不思議に思うのは、何故かつて「赤信号みんなで渡ればこわくない」などといった当時でいえば明確に反社会的ないくつかのネタにより一世風靡した現在のあの大御所芸人が、某若手芸人コンビのネタが原爆、反日と関連する可能性が強いということで、非難できるのかということです・・。
両者共にテレビの画面で見てきた私にはどうしてもその様に見えてしまう。
もっとも、ほとんどの人々はそういったことをすぐに忘れてしまうのですが・・。
そして、当事者達は毎度のことの様に問題をすり替えたりして、上手く逃げおおせるのでしょうが・・しかし長い目で見ると実はそれが問題であったのかもしれない・・。
あるいはこういったことは我が国の社会ではタブーなのかもしれない・・。」

B「ええ、それはたしかにありますね。
我々の社会は何でも正面から取り組む、戦いを挑むのをどうも記紀の時代から佳しとしない傾向があると思います。
別件逮捕的なものであったり、ああいうのは何ともいえず人を不安にさせるものがありますね・・。
何というかジョージ・オーウェルの「1984」の世界みたいなところがあるのです。まあ、それが全体主義的社会の特徴であるならば、日本とは少なくとも近代以降、現代に至るまで全体主義的な社会であり、おそらく今後もそうなのでしょう・・。
転機となりそうな出来事は時折起きるのですが、いつの間にかそれらも収束、安定してまた全体主義的な社会に再帰着するのです。
ですから、それが本来の自然体なのではないかと思います。
しかし、そういった傾向とは案外他の多くの国の社会においてもそうなのかもしれません・・それが全体主義的であるかどうかは別として・・。
とにかく、こうした社会の傾向に対する不断の警戒というものの価値が見出されないまま、欧米を直接的始原とする科学技術的基盤において同等の位置に到達したのが現代の日本をはじめとするアジア諸国、いや、最近は欧米自身もそうであるのかもしれません・・。
同じ文字列を読むのでもモニターから読むのと、紙面から読むのではその後に生じる想念、思考に違いが出てくるのかもしれません・・。
これはもしかしたら木簡から紙面への変化などよりも大きなものなのかもしれないです。何故ならば筆書という一種の身体性の要素が大きく欠落したからです・・。」

A「うん、最近の国際社会はネットの普及によってか、何でもスピード、正確さが要求されているようで、その結果人間の機械化により一層拍車がかかり、チャップリンのあの映画みたいなことが再び生じつつあるのかもしれないね・・。
これは仕方のないことなのであろうか・・?
ともあれ、さきほどの我が国のドロドロした因習的な要素についてだけれど、実はああいったものが引き起こす「怒り」とは、エネルギーに変えられるものであり、それはノーベル賞を受賞されたあの先生の発言にも見られます。
また、その怒りとは、例外はありますが、その多くは若いうちにしか持ち得ないものであり、それは通常、年齢の上昇、あきらめと共に減衰してゆくものです・・。
そして、その若さ故の怒りからのエネルギーにより主体が創造したものが、世間と感応して人気となり、経済的効果が生じ、その結果一時的にではあるが、世間を活性化させます。そして人気、経済的効果により主体はエネルギーの源であった怒りを持ち得なくなることから、そのエネルギーの供給源を他に求めつつも創造を続け、それがまた世間と感応して、活性化が為されるサイクルが繰り返されるのではないだろうか・・。
その様な一連の流れが時間の経過により感応、活性化の度合い、程度が鈍化、低下すると、今度は新陳代謝の様に新しい主体による一連のサイクルが再び始まるのでしょう。
これは内燃機関にて動く無限軌道の様なもの、あるいはまたフレーザーの「金枝篇」内の「殺される王」もしくは中国の易姓革命の言説などを想起させますね・・。」

B「なるほど・・何だか抽象的であるのか具体的であるのかよくわからないお話でしたが、いわんとする内容はよくわかります。
また、私もその考えには賛成できる部分が多くあります。
ただ、少し不思議に思うのは、そのお話は、男性を主体として想定されているのですか?あるいは女性はその話しのどこに位置づけられる存在なのですか?」

A「なるほど、それは面白い指摘だね(笑)。
私の意見では、実はこの一連のサイクル、流れを無意識ながらも支配、統御しているのが女性なのではないかと思います・・。
しかし現在様々な事物が多様化しているように、女性にも色々あって、先程の主体者に位置づけられるような方も現代社会では多く見られます。
これは特に様々な分野における先駆的存在の女性がそうなのではないでしょうか?
古来より、そして特に近代以降、少なくとも我が国の社会では、こうした先駆的存在を社会の同質性を乱す因子として往々にして同性、異性問わず結果的には排斥する傾向があります。
その一方、同質性を重視する女系的な要素の力が若干弱まっている現在であるからこそ、先駆的な女性は同性からの同調圧力、排斥を免れ、頭一つ越える存在になることが比較的容易になっているのではないかとも思います・・。
しかしそれでも、これもまた私個人の意見だけれども、女性研究者、専門職の方々の自身の研鑽、努力により磨き上げ、鍛え上げられたいわゆる女子力とは、世のほとんどの男性から見れば、ほぼ妖刀であり、御自身が気付かないうちに男性を傷つけていることが多いのではないだろうかね?・・(苦笑)。」

B「はあ、なるほどです・・。
あまり同意したくないですけれど、仰ることよおくわかります(笑)。
それで、今のお話で私が思い出したのが、以前私のブログにてとり上げた若松孝二監督の「千年の愉楽」という映画です。
Aさんも、もし機会がありましたら是非一度御覧ください。
多分、今のお話を思い出されるのではないかと思います。
また、そういえば、亡くなった兄とも、よく読んだ本や映画に関しての話しをしていましたが、不思議と兄とはそういった好みが似ておりまして、最近は音楽自体あまり聴かないのですが、兄から教えてもらった曲は今でも私のお気に入りに入っています。それらのうちの一曲であるm-floの「Come Again」は現在尚かなり良い曲であると思っています。
あ、この一連の会話はまた個人特定の要素を除きブログの題材にしようと思いますが、丁度兄の七回忌ということもありますので前の曲を動画サイトから共有しようと思います・・。」

A「ああ、それはいいね。
それにしても君の求職活動の方ももうじきいい方向に落ち着くといいね・・。」

B「ええ、どうもありがとうございます。がんばります。
しかしこればかりは縁みたいなものがありますので、とりあえず色々と動くほかないようですし、また、そうでもしていないとおかしくなってしまいそうです(笑)。」

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ロバート・グレーヴス著「この私、クラウディウス」みすず書房刊pp.113-115より抜粋

ウィンストン・チャーチルの戦争についての記述と併せて読むと面白いかもしれません。

リウィウスは言った。「ポッリオの問題は、歴史を記述する際に洗練された詩的な感情をおさえねばならんと思い込んでいるところにある。作中人物を動かすときも意識して生気がないようにしてしまうし、その人物に語らせるときにも、わざとかれらの口から能弁を奪ってしまうのだ。」

ポッリオは言った。「そうとも。詩は詩、弁論術は弁論術、そして歴史は歴史だ。これを混同はできぬ」
「混同できぬ?私にはできるよ」リウィウスは言った。
叙事詩的主題は詩の占有物だから歴史に用いてはならぬとか、決戦前夜の将軍に、それが弁論術の占有物だという理由から、能弁な演説をさせてはならぬというのかね」

「それこそわしの言いたいところじゃ。実際に何が起こったか、人々がいかに生きそして死んでいったか、その人々が何を言い何をしたか、それをありのままに記録することこそ真の歴史であって、叙事詩的主題はいたずらに記録を歪めるだけだ。貴殿の将軍の演説は、なるほど弁論術としては一級品かもしれんが、まったく歴史的ではない。どれをとっても真実のかけらもないばかりか、不適切ですらある。わしは他の誰よりも決戦前夜の将軍の演説をこの耳で聞いてきた人間だが、その当の将軍たち、殊にカエサルとアントニウスは弁論術の手本ともなる能弁家であったにも係らず、何よりもまず良き軍人であったから、軍団兵の前でそうした弁論術の手本を披露したりはしなかった。将軍たちが兵士に向って語るときには、普通の会話のように話したのであって、決して演説をぶったわけではない。そもそもカエサルがファルサリアの合戦の前にどのように話したか貴殿は御存知かな?かれは兵士に対して、妻子のことやローマの神殿のこと、はてはローマの過去の赫々たる戦歴を思い起こせなどと言ったか?断じて否である!カエサルは片手に例のばかでかい人参、片手には硬い兵営のパンを持って松の切株の上に立ち、もぐもぐ口を動かしながらその合間に冗談を飛ばしたのだ。
冗談といっても婉曲なものではなく、そのものずばりの生々しい奴で、話題は自分の自堕落な生き方に比べれば、まだしもポンペイウスの暮らしはずっと清潔だというものだった。
カエサルはあの人参を使って兵士たちの腹の皮がよじれるほど大笑いさせたものよ。今でも憶えておるよ、ポンペイウスが大ポンペイウスと呼ばれるようになった由来をあのばかでかい人参を使って説明するきわどい冗談があったなあ。
カエサルがどうしてアレクサンドリアの市場(バザール)で髪の毛を失う羽目に陥ったかという話はもっときわどいものだった。
まあこの少年の前では話せんが、たとえ聞かせてやっても君はカエサルの兵営で鍛えられた者ではないから話の要点は分かろうはずがない。いったいカエサルは翌日の戦さのことなど話の締めくくりにこう言っただけだ―「嗚呼哀れなるかな、ポンペイウスカエサルの軍隊に刃向かうとは。運の尽きというものだ。」「貴殿は著作の中でこうしたことは一切記しておらないのではないか」
「もちろん一般公開した版にはな」とポッリオが言った。「わしとて馬鹿ではない。それでも知りたいというのなら、私家版の補足篇を貸してやろうか。ちょうど書き上げたばかりだからな。しかし改めてあれを読むまでもない、わしが直に話してやろうから。
知っての通り、カエサルには物真似の才があった。
かれは今まさに剣の上に(あの人参を剣に見立てて―尤もかじりさしではあったが)わが身を投ぜんとするポンペイウスの臨終の言葉を披露してみせたのだ。何ゆえ悪が正義に勝利するのか、ポンペイウスの名において不死の神々を痛罵したのだ。兵士たちは腹を抱えて大笑いさ。
それからカエサルは声の限りに叫んだ。「ポンペイウスはこういうが、これは本当ではなかろうか?できるものなら否定してみるがいい、ふしだらな餓鬼めら!」そしてかじりさしの人参を兵士たちの前で振り回したのだ。
その時の兵の怒号たるや!カエサルの兵ほどのものは後にも先にもなかった。連中がガリア戦役勝利のときに歌っていた歌を憶えているかな。

「俺たちと一緒に禿頭の助平どののお帰りだローマ人よ、女房を家に閉じ込めておけ」

「これこれ、わが友ポッリオよ、今議論しているのはカエサルの道徳についてではなく、いかなるものが正しい歴史記述かという問題であったはずですぞ」とリウィウスは言った。」
この私、クラウディウス

この私、クラウディウス

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伝統・文化 「肌身に知る」

A「これまでに幾つかの地域にて在住した経験から、それら地域での文化、価値観と現在住んでいる首都圏のそれとで異なっていると感じたことは多々あります。
その中の一つについて、先日ある機会により思い起こしましたので、それを記そうと思います。
首都圏あるいは我が国を代表する伝統芸能として「歌舞伎」が挙げられます。
そして、特に首都圏においては「歌舞伎」の観劇とは、どちらかというと高級な趣味とされているのではないかと思われます・・。
またそれに伴い、歌舞伎役者もまた、一般にどちらかというと通常の俳優、役者とはまた異なった種類の著名人として分類されているのではないでしょうか?
こうした価値観に対し、首都圏以外での在住経験のない頃は、特に疑問を持つこともなく、ただ、当然、所与のものとして受け止めていたように思います。
しかし、これまでの住んだ幾つかの地域の中での生活、日常会話などにおいて、時折、そうした自身が所与の当たり前の価値観としているものについての相違が認識されることがあります。
その中で特に印象的であったのが「歌舞伎」についてです。


A「君の実家はたしか千葉県の市川市のようですが、何故幼稚園から中学校まで東京の学校に通っていたのかね?」

B「ええ、やはり同じ公立校とはいっても都心部の学校の方が色々と進んでいると云われてましたし、私は祖父母の家がそちらにありましたで、千葉県の市川市にて住んではおりましたが、実際に育った場所は、その半分は都心部であるといっても良いのではないかと思います・・。
まあ、それでもあくまでも出身は千葉県ではありますが・・(笑)。
しかし、それら都心の公立校でも、私のような生徒は少なからずいましたので、そこまで珍しいことでもないように思いますが・・。」

A「ふーん、B君の祖父母は東京の人なんですね、それで東京には何時頃から住んでいたのですか・・?」

B「父方は明治以降に上京してきたようですが、母方は明治以前から、つまり東京が江戸であった頃から住んでいたようでして、聞いたハナシでは日本橋人形町あたりで商家を営んでいたようです・・。
ですから、祖母などは現在考えてみますと着物の着方から様々な趣味に至るまで、江戸からの文化を受け継いでいたのではないかと思います・・。」

A「そうですか・・それで、その江戸からの文化の趣味とは、具体的にはどのようなものですか?」

B「ええと、そうですね、祖母は歌舞伎の観劇が随分と好きな方でして、私も幼い頃連れられて何度か観に行った記憶もあります・・。」

A「はああ・・歌舞伎ですか・・それが東京の伝統的な江戸文化なのですか・・?」

B「まあ、現在では様々な地域、地方で興行されるようですが、そういっても良いのではないかと思いますが・・。」

A「しかし、君、歌舞伎とは元々、なんだね君も知っているとは思うけれども、あまり良いとされる文化ではなかったし、現在でもそれは基本的には変わっていないでしょう・・?
梨園といったって、あれは要するに疑似皇室みたいなものではないかと思うよ・・。
まあ、マスコミの話題作りの一環で随分もてはやされてはいるようだが・・。」

B「はあ、なるほど・・・しかし、ここ***では、そうした文化自体があまり盛んでなかったから、そのようにお考えになるのであって、江戸、東京においては、そこそこの歴史があり一般的に伝統芸能と認識されているのだと思いますよ・・。」

A「・・ふうむ、まあ、こっちには昔からあまり観劇といった文化自体があまり盛んではなかったし、また歌舞伎といっても地方巡業に来るような旅芸人一座の一種として認識されているのかもしれないね・・。
しかし、それでも東京では歌舞伎が立派な伝統芸能とされているのが、よく理解できないね・・。」

B「しかし、地方巡業でしたら相撲なども行いますけれど、あれはかつて盛んに行われた地域の村相撲などとは、また別のものとして認識されますよね・・?」

A「いや、相撲は歌舞伎とは違うよ、あれこそまさしく伝統ではないかね・・?
だから、村相撲には村相撲の良さみたいなものがあって、大相撲にはまた別のそれがあるのだと思うのだが・・。」

B「それでしたら歌舞伎もそれと同じように考えれば良いのではないでしょうか・・?」

A「まあ、それは理屈としてはそうなのかもしれないが、実際にそうした文化を肌身に知らないと、いくら君が力説・説得したところで、こちらは納得できないよ・・(笑)。」

B「ええ、それは仰る通りであると思いますし、またそれ(肌身に知る)が文化そしてそれを認識する価値観にて不可欠なことであるとは思いますが・・。
かといって、これ以上、この話題では、あまり有意義な進展は望めないようです・・(苦笑)。」


こうした経験とは、実際には往々にして、もう少しナマグサイものでしたが、それこそ数多くあります。
しかし、現在では貴重な経験をさせて頂いたと考えています。

少なくとも、都心部の文化、価値観が「絶対」ではないということは肌身に知り得ました。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる熊本の大震災、山陰東部での大震災により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そして、その後の復興を祈念しております。」

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