鶴木次郎のブログ はてなブログver

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470記事到達 文学から歴史 歴史から文学

A「お蔭様で昨日のブログ閲覧者数も1000人に到達しました。
また、それと同時に今回の記事投稿により総投稿記事数が470に到達します。

そうしますと、残り30記事にて500記事へ到達ということになりますが、これは直近の450記事から考えてみますと、今回の470記事到達とは、割合早かったものと感じております。

そして、年内中に500記事到達までの残り30記事の投稿ということになりますが、今年は残り50数日でありますので、まあ3日に2日程度の頻度にて新記事の投稿、更新を行っていけば、特に無理なく年内中に500記事に到達することが出来そうです。

とはいえ、そこであまり気を抜いてしまいますと、後になり、しわ寄せが来ますので、出来る限り毎日に近い状態にて500記事到達まで記事作成、投稿を行って行こうと考えております・・。

さて、先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は第二部も先ほど読了しました。
第二部は昭和16年(1941年)12月の太平洋戦争開戦すなわち真珠湾攻撃のあたりでハナシが終わっており、これが次の結末たる第三部にどのように続くのか楽しみです・・。

また、こうした長編小説を母国語にて著すことが出来る歴史・文化を持つ我が国とは、やはり様々な点において優れた要素を持っているのではないかと改めて考えさせられます・・。

しかし、そうは云いましても文化というものは、おそらく発展し続けるものではありません(この著作が著された時代に比べ現代の我が国が発展しているとは必ずしもいえない)。


具体的な刺激、精神の活性ながどといった要素が減衰、欠如していきますと、それはやはり衰頽、荒廃してゆくものであると考えます。

そして、そうしたものとは経済、文化的にある程度までの発展を遂げると必ずしも直線的にではありませんが、必然的に衰頽、荒廃に向かって行くのではないかと思われます。

そして、それが様々な国家、地域などの興亡の歴史における大雑把な枠組みであるように思います。

もっとも、こうしたことは既にかなり陳腐なこととして認識されているとは考えますが・・。

ともあれ、このような興亡の歴史の流れを一つ認識し、それに対する認識をさらに深化させるという意味において、さきに挙げた「楡家の人びと」とは、適当な材料になるものと考えます。

そして、このように何か一つの題材を深化させる過程において、必然的に近現代史から文学に結節、あるいは逆からのアプローチであれば文学から近現代史に結節するというのが一般的な文系学問の研究における見取り図であるように思います。

やはり、こうした意味でのタコツボ化とはあまり良いものではないと私は考えます。

ともかく、いくつかの分野において、ある程度の認識に達しますと、何といいますか、自然とそれら分野の認識の深層の方から根が生じ、それらが深層において絡み合うことにより、何とも表し得ぬ極めて個人的な学問体系が生成するのではないかと考えます。

こうしたことは、コトバを以て説明するより、実際にそういった人物の著した著作を読むことにより判然とするのではないでしょうか・・?

その私見による具体例として南方熊楠金関丈夫などが挙げられると考えます。

また、多少スケールが異なりますが、これまでにブログ記事にて記した私の師匠の方々もまた、皆、そうした傾向があるのではないかと思われます・・。

そして、ここまで記していて不図ゲーテの言葉を思い起こしましたので下に示します。

「ユーモアは天才の一要素である。しかし、それが勝ち過ぎると、天才の代用品に過ぎなくなる。それは、芸術の下落を伴い、ついには芸術を破壊し、滅ぼしてしまう。」

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本における大地震、昨今の山陰東部における大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

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自己について・・

A「本日は日中気温が上昇し、多少暑くも感じました・・。

さて、先日電話口にて久しぶりに文系院時代の知人と話す機会を得ましたが、どうにか文系学問特有の世界、会話について行けたのではないかと思います・・。

しかし同時に、以前に比べ、色々と忘れている部分もあり、自身としては口惜しい部分もまた(少なからず)ありました・・・(苦笑)。

そして本日は、何人かの歯科医師の先生と話す機会を得ましたが、ここでもいくつかの歯科分野の会話にどうにかついて行けたのではないかと思います・・。

また、ここにおいてもさきと同様、少なからず忘れている部分があり、自身の勉強不足、記憶力の悪さが悔やまれました・・。

しかしながら、自身のことを誇るのわけではありませんが、こうしたいくつかの学問分野での(ある程度専門的な)会話について行ける私とは、一体何者であるのかと時折考えてしまいます・・(苦笑)。

ともあれ何れにせよ、その根本、基層には、いくつかの結節点を持つ文系学問の多少オカシイ(極めて個人的な)体系らしきものが存在するのではないかと思われます・・。

そして、このオカシイ学問体系とは、主に和歌山、東京そして鹿児島にて形成されました・・。

また、これは一応学位の分野としては「歯学」となっておりますが、取得後の経緯などを踏まえますと、私個人の意見として時折「こうなってしまった以上、分野などは別に何でもいいのではないだろうか?」と考えてしまうことがあります・・(苦笑)。

果たしてこうした意見とは(私の場合)傲慢不遜なものなのでしょうか・・?

しかし、それはともかくとして、現在ここまでブログ記事を継続して作成することが出来ている背景とは、さきに述べた三つの地域にて形成された学問体系らしきものに因ることは、たしかであると思われます・・。

あるいは異言すると、それら何れかの経験が欠けていても、それは出来なかった、出来ないと表することが出来ます。

そしてもちろん、投稿した一連の記事を読んで頂いた方々がいらっしゃったからという大前提が存在しますが・・。

とはいえ、こうしたブログ記事の作成に対して「のみ」それらの経験が生かされると考えるのもいささか悲しいものであり、そのため今後も自身の望む大学職種(主にコーディネーター、研究支援専門職員など)に応募するつもりです。

・・色々と考えてみましたが、どうやら私とは教育の過程によりそうなったのではなく、どちらかというと生まれつき(生来)に近い部分より多少オカシイところがあり、そのために様々な必ずしも必要でない面倒に遭遇することになりましたが、また、それと同じ理由により、さきに述べたようなオカシイ体系を持った私となり、また、それをどうにか認めてくれる方々にも出会うことができたのではないかと考えております・・。

そのように考えてみますと、他の運はさておき、二十一歳以降の人間運に関しては、私は相対的に見てもかなり恵まれている方ではないかと思うのです・・。
さて、如何なものでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの速やかな復旧、そしてその後の復興、またそれに加え、昨晩に鹿児島県奄美地方において発生した地震による被害が出来るだけ軽微であることを祈念します。」

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文章、文体、認識の枠組みについて・・

A「先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は第二部の200頁まで至りました。

こうした長編小説とは、ある程度期間のインターバルを設けて読むと、読書の進行が多少早くなるものであるのかもしれません・・(笑)。

また、この著作は自身の感想としては大変面白く、おそらくこの土・日曜日の間に第二部もまた読了に至るのではないかと思われます・・。

そしてその後さらに第三部(最終部)読了に至ったならば、今度は同著の英訳版を購入し読んでみようと考えております・・。

英訳された日本の小説とは、著作によっては(私にとって)大変高価なものもありますが、幸いなことに、この著作については比較的手頃な価格にて求めることが可能であるようです。

また、以前投稿したブログ記事においても記しましたが、この著作は、現代の若い方々が読まれると何か面白い、不思議な感覚、認識を得ることが出来るのではないかとも思います。

いや、こうしたことはむしろ一般的であり、あるいは論理一辺倒の科学的な論文などにおいても同様であるのかもしれませんが、我々とは、何かしらの著作、文章を読むことにより、肯定的、否定的であれ、そこから様々な感覚、認識を惹起します。

そして、その(感覚、認識の)蓄積、そしてそれらの精神内部における経時的な反応、化合等に加え、実際の経験を積むことにより、より大きな観念、思想といったものの核が徐徐に形成され、それが様々な形で文字、言語を以て表出されることにより、明瞭化、体系化された観念、思想と称するに堪えうるものとして顕現に至るのではないかと思われます・・。

そして、こうした営みとは無意識である場合も多いのではないかと思われますが、何れにせよ殆どの方々が日常的に行っていることであると考えます。

ただ、そこで特に重要であると思われることは、実際の経験とは、各人各様に日常生活を送る上にて得ているのでしょうが、それ(経験)を認識するための、あるいは認識の枠組み(言語化、評価)を形成するための基盤、母材(マトリックス)として、何かしらの文章そしてその文体の果たす役割の大きさということです。

そして、これが各人各様である経験をある一定の方向へ収斂するものであると同時に、その個性、特徴を発揮する基盤でもあるということは、なかなか面白いことであると思われます・・。

その意味において広告、出版業界とは、依然として、ある程度大きな影響力を我々の社会に対し有しているのではないかと思われます・・。

しかしその一方、さきのブログにおいても記した通り、昨今、インターネットの普及により、膨大な情報が容易に広く入手可能となり、これまでのマスメディア、新聞、出版業界が関与、把持してきた認識の枠組みの重要性が希釈されつつあるということもまた事実であると思われます。

とはいえ、この認識の枠組みの重要性とは本質的(人間に付随する能力としての価値)には、希釈される性質のものではないと考えます・・。

それ故、訪れつつある新しい時代においては、おそらく我々と文章そしてその文体(認識の枠組)の間にもまた、何かしら大きな変化が生じる、いや生じつつあるのではないかとも思われるのです・・。

それが如何なるものであるかは分かりませんが、あるいはこうしたこともまた、歴史の進行およびその方向性に対し、大きく関与しているのではないかと考えます。

また、それが古来より云われている「言霊」に関連するものであるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震、昨今山陰東部にて発生した大地震により被災された地域の今後出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」

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灰の降る街について・・

A「本日の首都圏は台風一過によるものか大変天気も良く、また気温も思いのほか上昇しました・・。

これは町なかを歩く際に若干つらく感じる程度のものでした。

しかし、以前より何度も記すようですが、その日差し、そして気温とは、和歌山、九州(特に鹿児島)に比べると特に耐え難いという程のものではありません。

また、九州(特に鹿児島)の日差しに対しても能動的に慣れることを試み、それを継続すれば、どうにかしのげる程度までは慣れていくことも特に難しいことではないと考えます。

いや、むしろ鹿児島(市街)の夏季においては、その日差しよりも日常的ともいえる桜島の噴火による降灰に悩まされるかもしれません・・。
この(降灰の)ため、彼の地(鹿児島市街周辺)における夏季の洗濯物は、その強い日差しにもかかわらず露天にて干すことが困難です。

これには在住当初なんともいえない矛盾を感じておりました・・(笑)。

また鹿児島市街から電車、自動車などで離れて気が付くことは、路地の隅などに(火山)灰およびその痕跡がないことです。

また、それに伴い空気も幾分かキレイになっているのではないかとも錯覚します。

たしかに夏季の鹿児島(市街)においては、シャワー、入浴の際、身体の様々な部位に火山灰が付着していることに気づき、そのことから「ここの大気とは火山灰によって汚染されているのではないか?」と感じることが往々にしてありましたが、他の(空気がキレイな)地方都市と比べてはわかりませんが、少なくとも現在の首都圏と比べますと、まだ大分マシなのではないかと思われます・・。

とはいえ、鹿児島在住時は、この火山灰により洗濯以外においても悩まされ、当時乗っていた原付の運転時におけるゴーグルとは、必需品(に近いもの)でした・・。

また、それと関連することとして、彼の地の(特に夏季における)火山灰が飛散、浮遊する状況により生じる一種独特な大気の環境とは、大気を媒質であると考えた場合、他のそうでない環境と比べた場合、より強い(場の)空気の凝集性を生じさせるのではないかとも考えられますがさて、如何でしょうか・・?

そしてそうした自然環境が、戦国、幕末およびその後において(主にその団結力の強さにより)武勇、精強さを誇った島津兵、薩摩藩の物理的な意味での(まさしく微細な!)礎の一つとなったのではないかとも考えさせられます・・。

そしてまた同時にそうした環境とは、鹿児島の女性(薩摩おごじょ)達の(女性特有の)感受性に対しても少なからぬ影響を与えているのではないかとも考えさせられます・・。

こうしたことは、鹿児島在住時には、特にあらためて言語化して考えてみることがありませんでしたが、現在、彼の地から離れ、且つこうした気温が高い日になりますと、不思議なことに、そうしたことが自然と思い起こされ、そして現在それを題材として文章を記している次第です・・(笑)。

そのように考えてみますと、当然ではあるのかもしれませんが、我々人間一般とは、畢竟、自然の所産、産物であり、そこからの影響を受けつつ何かしらものごとを考えている(考えさせられている)のではないでしょうか・・?

その意味において、日常的な桜島の噴火および降灰が存在する一種独特、特徴的な大気(媒質)の環境を持つ鹿児島とは、やはり、その風土においてもまた、良い悪いといった価値判断を抜きに一種独特、特徴的な「何か」があるのではないかと考えさせられます・・。

また、最後に蛇足となりますが、野上彌生子の「迷路」内においても幾度か記されていたことでもありますが、鹿児島人によく見られるパッチリとした瞳とは、さきに記した桜島の噴火および降灰による自然環境とは、どうも相矛盾するのではないかと思われます。

そうしますと、これ(鹿児島人によく見られるパッチリした瞳)とは、自然環境(桜島の噴火および降灰)以外の、この地の人々特有の種族的な特徴ではないかと考えられますが、私見としましては、どうもそれだけではないような感じを受けます・・。

ここから先はまだ上手く言語化できませんが、機会がありましたら、また考えてみたいと思います。

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

そして今回の記事題材の北隣の熊本において、さる四月に発生した大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

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最近不図思ったこと・・

A「作成したブログ記事が300記事に近づいてきましたが、その閲覧者数においては特に大きな変動は認められず、概ね1日300~500人となっております。

最近は特に新しい書籍を読むこともなく、これまでに何度か抜粋引用した加藤周一著の「日本文学史序説」そして野上彌生子著の「迷路」を再度読み返しております。

そして、そうした状態がしばらく続き、また何か新しい著作、書籍が読みたくなるのではないかと思います。

今度は以前少し書きました山田風太郎著の「昭和前期の青春」を読んでみたいと考えておりますが、さて、どうなることでしょうか・・。

また、つい先日、銅鐸のことを少し記しましたが、かつて銅鐸、弥生時代関連の書籍を集中的に読んでいた大学院修士課程の頃、同じく谷川健一著の「青銅の神の足跡」を何度も読み返していたことを想起しました。

谷川健一著作は、これまでのブログ記事においても何度か抜粋引用させて頂きましたが、現在読んでみても、大変興味深く読むことが出来ます。
そして、その著作「魔の系譜」とは、我々日本人の精神の深層をかなり鋭く、深く抉っているのではないかと思われます・・。

私見としては、この著作とは、現在の我が国であるからこそ真剣に読むに価するのではないかと考えます。

ちなみに谷川健一熊本県南部の水俣市の御出身です。
そして、それにつられて想起したことは、以前ブログにて記しました同志社大学の森浩一とは、たしか大阪府の御出身であるのですが、さらにその先の出自とは大分県であると氏がその著作内にて記していたことです。

このように考えてみますと、案外と私は九州御出身、出自を持つ研究者、著述家を無意識ながら好んで読むような傾向があるのかもしれません・・(笑)。

また、九州といえば、私は金関丈夫を想起しますが、この方の著作はその記されている内容の背景にある広大な分野に渡る、膨大な学識、見識に感動すら覚えます・・(笑)。

今後我が国には、こうした研究者は出てこないのでしょうか?
また、それで思い出しましたが、現在話題となっている三重県の「三重」の語源とは、日本武尊の東征からの帰路、伊吹山周辺にて遭難し、足が腫れ上がり「我が足、三重に曲がりなして、いたく疲れたり」といった記紀(たぶん「古事記」のみであると思われますが・・)の伝説、記述より由来していると知ったのは、たしか金関丈夫氏の著作からではなかったかと思います・・。

また一方、谷川健一は、この記述された「足が腫れ上がった」という状態、症状から、これを当時伊吹山麓に在住していた精銅、水銀、鉛(中央構造線のあたりには何故だか水銀(丹)を産出する場所が多い)を扱うことを生業とする人々が排出する有毒ガスに因るものではないかと考察していたことを記憶しております。
これもまた、かなり実証的且つ、いかにも神話的であり大変興味深い説であると思います。

そして、金関丈夫の視点は谷川健一と若干異なり、ギリシャ神話のオイディプス(ギリシャ語にて「腫れ足」の意)のハナシと関連付けて考察されておりましたが、これもまた大変興味深い説であると思います。

また、こうした東西の様々な神話を関連付けて考察するような傾向とは、南方熊楠あるいはイギリスのロバート・グレイヴスにも同様に見受けられるのではないかと思われます。

さらにここまで記していて不図、大学院博士課程在籍当時に伺った、お師匠が若い時分、スーパーカブにて吹雪の中、伊吹峠を命からがら走破したという上記の神話に近い武勇伝を想起しました・・。

ともあれ、今回のブログ記事はこのあたりで一度区切らせていただきます。
ここまで興味深く読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。」

そして、先月の熊本の大地震にて被災された地域における諸生活インフラの出来るだけ早期の復旧そして、そこからの復興を祈念します。

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「慣れ」およびいくつかの思想について・・

A「本日も若干帰宅が遅くなりました。
また最近は電車通勤にも以前に比べ慣れてきたのではないかと思います・・。

これは自慢できるようなことではありませんが、それでも少し前までは「これからまた電車通勤などできるのであろうか・・?」と半ば本気で考えておりました(笑)。
慣れというのはスゴイものです・・。

また、慣れといえば、私にとっては現在継続し作成しているこのブログも一面において「慣れ」の産物です・・(笑)。

そういえば、昨年の今頃は300記事どころか100記事も書けるかどうかで四苦八苦しており、また、その文体も現在に比べ、何といいますか、頑なであり、同時に敢えて硬質な文体を以って書くことに対し、よくわからない美学のようなものを持っていたようです・・(苦笑)。

また、硬質な文体といえば、理系の論文などがその一つの典型ではないかと思われますが、この文体を用いて文章を書きますと簡潔明瞭ではあるのですが、その反面、文章を書く際に生じる創造性あるいは偶然の思い付きなどの芽を摘んでしまうような傾向もまた、あるのではないかと思います・・。

それ故、たとえ硬質な文章を書く際においても、まずはじめに散文的な形式にて概ね主題に沿った内容の文章を(ダラダラと)書き、そして後にそれに対し重複箇所を削除、修正したり、精確を期するよう表現に改めてゆくといったような方法を用いることにより、それらしきものは書けるのではないかと思いますが、これは不真面目な意見であるかもしれません・・(笑)。

とはいえ、一方において散文的なものには散文的なものの良さといったものもまた存在すると思います・・。

その昔、ある著述家が「小説とは一つの哲学(観念の体系)を物語形式で述べたものである。」といった意味のことを書いておりましたが、私はこの意見は間違っていないと考えます。

もっとも聖書などはどちらとも(物語、哲学書)とらえることが出来、また、それと類似した形式にて書かれたニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」なども同様(どちらともとらえることができる)であるのではないかと思います。

そういえば、ゲーテがキリストのことを「当初キリストは政治的革命を試みたが後にそれは道徳的なものとなった。」といった箴言を述べておりましたが、そのことは少し前に製作されたキリストの後半生を描いた「最後の誘惑」という映画の内容にも共通しているのではないかと思います。

また「当初キリストは政治的革命を試みたが後にそれは道徳的なものとなった。」に関しては、孔子儒教についても同様の傾向がある(あった)のではないかと思います。
とはいえ、双方の当時の覇権に対する挑戦といったある種の主体性の強さにおいては相異があるとは思いますが、これは東西文化の違いなのでしょうか・・?

さて、ハナシをもと(とはいえ、果たしてどこが「もと」なのだろうか(笑)?)に戻し、聖書と類似した形式にて記されたニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」に関しては、その後マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などといった論文、学術書に精製、昇華されたのではないかとも思えます。

あるいはホセ・オルテガ・イ・ガゼットの「大衆の反逆」においても、それは同様あるいは類似した関係が「ツァラトゥストラかく語りき」との間にあるのではないかと考えられます。

さらに、それ(ニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」をはじめとする一連の思想)はバタイユの思想とも強い関連性があり、またバタイユの思想に関しては、三島由紀夫の特に後期の思想に対して強い影響を与えたのではないかといわれております・・。

また、その三島由紀夫は1960年代の我が国において「このままでは日本は日本でなくなり、その代わり無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るであろう・・」といったことを述べておりました。
そして、必然か偶然かこれはマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の最終章において述べられている「精神のない専門人、心情のない享楽人、この無のものは・・」へとつながるのではないかと思います・・。
加えて、私がこれまでのブログにて幾度かその文章を抜粋引用させていただいた「ビルマの竪琴」にて有名な竹山道雄とは、ニーチェ著作の翻訳においても知られております。

さきの九州・熊本での大地震にて被災された地域の今後の早期の復旧そして復興を祈念しております。
また、ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。」

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文体の獲得の認識について・・

A「本日も帰宅が遅くなってしまい、また生憎の空模様であったため「今日はすぐに休んでしまおうかな・・」と不図思いましたが、それでもとりあえず何かしらは書いてみようと思い、今現在日を越えて昨日のブログ記事の作成に取り掛かっております・・。

そういえば、かつて読んだ中井久夫著作の中で
「人は自身の文体を得る時は、はっきりとその瞬間を認識、自覚するものである。」と記しておりました。

そうしますと「今現在の私とは果たして自身の文体なるものを獲得しているのであろうか?」と否応なく自問自答することになるのですが、これは今現在よくわかりません・・。
かつて一時期(2012~2013頃)よくコトバ、文章が出てくる、湧いてくる時期(D2病)があり、そこからスランプといっても良い、私としては心身共に大変に辛い状態を経て、今現在に至っていることは分かるのですが、では、私はその何れかの時期において自身の文体なるものを獲得したのであるかとは、自身ではなかなか自覚、認識し難いのではないかと思います・・。
あるいは私は相当鈍いのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、今現在に至るまでどうにかブログ記事といった形ではありますが、文章を書き続けることが出来ているという現状とは、昨年の今頃の時期から比べますと大した進化ではないかと思いますし、また、そのように考えておかないと、精神衛生上良くないと思います・・(苦笑)。
しかし、それと同時に今後私の書く文章とは現在よりももっと分かりやすい、明晰なものとなるのでしょうか・・?

そういえば、昨年春に関西某所にて行われた勉強会に出席、発表した私に周囲の方々は「おそらく最近のAさんは理系の文章ばかり読んでいるのではないか?」といった意味のことをいわれました。

たしかに当時はそうでありましたが、同時にその時はこのような形で文章を書くことが大変困難であり、そこで用いたレジュメとは2~3行程度の短文を行を空け書き連ねているような感じでした。
当時書いたレジュメがデータとして残っていれば良かったのですが、残念ながら今現在手元にありません・・。
もしそれが残っていたらブログの1日分の投稿記事にはなっていたかもしれませんので・・。
大変残念です(笑)。

しかし、そこまで書いていて不図思い出したのは、かつて記していた日記です。

この日記に関してはつい先日ブログ記事にて少し取り上げましたが、中には大変イタイことも(多く)記されており、現在それを読んでみますと自身のことながら大変恥ずかしいです・・(苦笑)。
とはいえ、今後またブログ記事作成が難航しそうな時は、そこから記事の題材を見つけてみるのは悪くないアイデアであると思います。

また、同時に荷物箱の奥には和歌山在住時の日記も残っていると思われますので、今後如上の様な状態となりましたら、こちらもまた活用してみたく思います。

とはいうものの、今現在においても私には文体の獲得ということがイマイチよくわかりません。
今後書き続けてゆくことにより、少しは分かってくるものなのでしょうか?

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。
また2カ月前の九州、熊本での大地震で被災された地域の諸インフラの復旧、それに連なる復興を祈念しております。」

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凝集性の強さ?

A「本日の首都圏は幾分風が強く、また気温も特に日が沈んだ後は寒く感じました。

さて、昨日投稿したブログ記事の主題であった「我が国に移入された異文化由来の事物が、我が国にて定着する過程において、大きくその原型から変質していく」ということは、宗教といった極めて観念的なものであるほど、それが明瞭に認識されるのかもしれません・・。

そして、そのように考えてみますと16世紀に我が国にもたらされたキリスト教とは、一時的にその信徒数が数十万人に達したとのことですが、それが幾つかに渡る覇権者達による弾圧、迫害により、幾度かの叛乱を経て17世紀前半あたりまでには、ほぼいなくなっていたとのことです・・。

また、この時代を描いた小説として遠藤周作著「沈黙」が挙げられますが、この小説の最終部に近いところで、棄教したかつての神父の独白する内容が大変興味深く、また、それは以前にブログ記事にて記しましたが、その内容とは「日本にはキリスト教であ何であれ、それが齎されたオリジナルのカタチにて受容、定着することはない。そうしたもの全てをこの国の土地、空気、精神風土が溶かしていき、何か全く別のものにしてしまうのだ・・。」というものです。

これはおそらく我が国だけに当て嵌まるような現象ではないと考えますが、一方において我が国における、さきに述べたような特質、傾向とは、おそらく相対的に見てかなり強いのではないかと思われます・・。

そして、こうした特質、傾向を有していたが故に明治維新という突貫工事による近代化も、どうにか行うことが出来たのではないかと思います・・(これはたしかに一つの優秀さではあると思いますが・・)。

しかし、突貫工事とは、あくまでも突貫工事であり、歴史規模での経時的、自然発生的な要素などをあまり考慮する余裕?がなかったのではないかとも思われのです・・。

とはいえ、こうしたことは明治期から既に認識されており、夏目漱石の思想の主要な核の一つとして、さきに述べたようなことを基調とした諦念に近いものがあったのではないかと考えます・・。

それに加え、その弟子である芥川龍之介が徐徐に社会全般の軍事色が強くなりつつあり、また四年後に満州事変を控えた昭和二年に、かねてより抱いていた厭世的な思想により、自らの命を絶ったという夏目漱石から芥川龍之介に至るまでの一連の系譜とは、多少単純化過剰の気味はありますが、明治以降の我が国における一つの文学および社会思想の系譜とも見ることが出来るのではないでしょうか・・?

とはいえ、こうした明治以降のどちらかという陰鬱な思想の系譜が、多くの犠牲者を出した太平洋戦争の敗戦によってリセットされることはないものと考えます・・。

それは現在もなお、我々が忘れようと、嗤おうと、いつまでも我々の社会の背後に存在しているのではないかと思われるのです・・それを明晰に認識するまで・・。

そして、ここまで記していて、不図思い起こしたのは偶然にも夏目漱石の短編集「夢十夜」の「第三夜」です。

興味のある方は是非お読みください。

あるいは朗読の動画もあるようです・・。

ともあれ、今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本での大地震により被災された地域、昨今の山陰東部の大地震により同じく被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧、そしてその後の復興に加え、先日の博多駅前の道路陥没事故の復旧を祈念しております。」

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本日発生した地震から思ったこと・・歴史の価値とは・・

A「本日早朝に福島周辺を中心として再度、大規模な地震が発生したとのことでした・・。

今年に入り熊本、山陰東部、そして今回の福島周辺と大規模な地震が幾度も発生しておりますが、これで打ち止めとなって欲しいものです・・。

そして上記一連の大地震にて被災された地域の早期の復旧および復興を祈念します。

また、それと多少関連するかもしれませんが、そこから思い起こされたことは、昭和18年から4年連続(鳥取三河、南海×2)にて発生した一連の大地震のことです・・。

こうした大地震とは、我が国において、ある程度周期的に発生しているとのことですが、今回の一連の大地震および2011年3月11日に発生した東日本大震災とは、さきに記した昭和18年からの一連の大地震と周期的に何かしら関連があるのものか分かりませんが、何れにしても現在の情勢とは、これら地震以外においても不安感を惹起・助長する要素が散見されるものと考えます・・。

また、そのように考えてみますと、どうもその「周期」というものに対し興味をおぼえるのです・・。

私もこれまでのブログ記事にて歴史ネタを記す際に「こうした出来事とは周期的に生じているのではないか?」といったことを幾度か述べてきましたが、これは特に理系学問分野で使われる厳密な意味での「周期」といったものではなく、どちらかというと、記した内容の理解を促進させるための便宜的な語の選択であり、歴史とは、その本質において「周期」(循環して生じる現象の繰り返し)といったものはなく、あるいは歴史学とは、繰り返し反復されない出来事、現象を科学的に取り扱う学問であるともいえます・・。

また、それに加え思うことは、たとえ歴史が周期的にある出来事、現象が循環して生じるものであったとしても、それを我々が認識、概念化することにより、それ(広く概念化された歴史)が予防接種、ワクチンの様な役割を果たし、未来に生じる出来事、現象を改変することが出来ているのではないかということです・・。

そして、学問としての、いや認識される歴史の一つの大きな価値とは、そうしたところに存するのではなかろうかと思われます・・。

とはいえ、一方において、こうした認識される歴史の価値とは、世界的に見て「地域性」らしきものがあり、我が国のように四季がある程度明瞭に巡り(循環し)、また大地震が周期的に生じるような自然風土の環境においては、自然環境からの影響による周期的な循環を打破・分解するような概念化された歴史観は成立し難く、むしろ、そうした自然環境に慣れることにより、ある意味逆転した意味にて、そうした自然環境を馴致したという認識を得るに至るのではないかと思われます・・。

そして、こうした考えが以前もブログ記事にて記した和辻哲郎著「風土」における我が国をも包括する「モンスーン型文化風土」であり、また、それと同時にそれはベン図において、大きな重複部を中尾佐助の生活文化分類における「照葉樹林文化」と持つのではないかと思われます・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

そして、繰り返すようではありますが、これまでに生じた大地震(熊本・山陰東部・福島)により被災された地域の出来るだけ早期の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

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作家、著述家と地域性

A「1日ブログ記事投稿を休んだからといって、特に書きたいことが増えるわけでもないことがわかりました・・(苦笑)。
また、それは本日に関しても同様です。

しかしながら、ここでもう1日休んで記事の投稿を止めておくと、今度はそれがクセになってしまうのではないかという危惧により、本日は記事作成を開始した次第です・・(苦笑)。

こうした動機とは、見方によれば、あまり良いものではない(不純)のかもしれませんが、実際のところ、こうした動機により(少なくとも部分的には)これまでの継続的な記事作成は為されたといっても良いと思われます・・(苦笑)。

そのように考えてみますと、何かを為すにおいて能動性が大事であるとはいいながら、付加的なものとして、こうした外圧的な心理的効果といったものも有用でないといい切れないところが、我々の心の甚だ面白いところではないかと思われます・・(笑)。

そういえば、最近は作家の山田風太郎著作を読んでおりますが、その文体から感じられる著者の人柄とは、もしかすると、水木しげるに類似している部分が(少なからず)あるのではないかと思われます・・。
これを読まれている方々はどのようにお考えになりますでしょうか?

そして、この意見がある程度の普遍性を持っていると認められますと、改めて地域性といった議題を提示すことが出来るのではないかと思われます・・(笑)。

そしてまた、そのように記しますと、以前のブログ記事にて「近代以降の我が国の作家で東京都(特に都心部)出身で長編を多く著した作家、著述家は少ないのではないか?」といった意味のことを記しましたが、その考えと同じ地平に立ち、先ほどの山田風太郎水木しげるの類似性(それが認められるのであれば)を考えてみますと、同様に、その他(の(地域、地方)においても何かしらの仮説、試案などが出てくるのではないかとも思われます・・。

そして、(そうであれば)それもまた、我が国における面白い地域性の学び方の一つとなる可能性があるのではないかと思われます。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」


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