鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しております。

吸気と呼気のように膨張、収縮する精神・・

A「つい先日作成したブログ記事が450に到達しましたが、現在においてもこれといった内外の変化などは見受けられず、またそれと同時にかつてほど記事作成に窮するということもありません。
そして、そうした心境、状態にて本日も記事を作成しております。

とはいえ、やはり一日働いておりますと精も根も疲れるようであり、また、それが平日の場合、通常の状態ではありますが、そうした疲労感の中で記事作成を行っております・・(苦笑)。

しかしながら一連のブログ記事を閲覧しておりますと疲労感の中で作成したものと、そうでないものの間では特に大きな相異とは認められないのではないかと思われますが如何でしょうか・・?

そして、これは作成者の文章作成の才能の乏しさを示しているのか、あるいは、その進歩を示しているのかはよくわかりません・・願わくは後者であらんことを望む次第ではありますが、こうしたものは自身のみで判定することは多少危険なことではないかと思われます・・(苦笑)。

そして、そうしたことと多少関係があるのではないかと思われますが、以前読み、また、これまでのブログ記事においても幾度か抜粋引用した夏目漱石著「三四郎」内の記述、主人公三四郎と広田先生との会話にて「我々の住む世の中とは、偽善的、露悪的の両思想をその主たるものとして、それら交互の変化にて進行していると考えて差支えない。」といったものがありましたが、これを現今の首都圏に当て嵌めて考えてみますと、おそらく後者の色彩が強いのではないかと思われます・・。

そして、これを異言すると、強者、膨張、男性的思想が現今の首都圏において優位を占めているのではないかということになります。

また、こうしたことは歴史上の事物、遺物について考えてみてもあるいは看取することが出来るのではないかと思われます。

たとえば巨大化した銅鐸、銅矛、古墳、そして現代であれば19世紀末から20世紀前半における大艦巨砲主義などがそうした強者、膨張、男性的思想あるいはそれが優位を占める時代精神を示しているのではないかと思われます。

しかし一方、我々日本人とは一面において「何でも小型化したがる」といった心的傾向を持つと云われておりますが、これに、さきのことを加味して考えてみますと、それは片面のみにおいて云えることであり、実際のところ、我々の精神とは、時代によって様々な事物に対し膨張、縮小双方の嗜好を示すのではなかろうかと思われます・・。

そしてそれをさらに異言しますと時代における躁、鬱双方の傾向を示しているではないかとも思われますが、さて如何でしょうか・・?

とはいえ、本日のブログ記事にてこうしたことを記す背景とは、考えてみますと、作成者の能動性ではありますが、それと同時に本日お話しを伺った歯科医師の先生方との対話に基づいているのではなかろうかと思われます。

そして、そこから本日私が伺ったハナシおよびその対話の概容を想定してみるということは、現時点においては時間的に近すぎることにより困難であり、おそらくこうしたことは、以前さかんに作成した対話形式のブログ記事のように、ある程度時間を経たのちでないと、うまく捨象し対話形式の文章と成すことが困難であるののかもしれません・・(笑)。

しかし、そうであるからといってそれ(直近のハナシ、対話)が無価値であると断ずるのはナンセンスであることはご理解頂けるのではないかと思われる。

とはいえ、現今首都圏において優位を占めていると思われる強者、膨張、男性的思想に拠ると、そうしたもの(直近のハナシ、対話)は、無価値に近いものであると判ぜられる傾向があるのではないかと思われます・・。

こうしたことは様々な時代が生む文物に対し影響を持ち、そしてそれらが現今の我々よりも賢明且つ客観的であるかもしれない後世の人々により鑑定、評価されることを忘れてはいけないのかもしれません・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月の熊本にて発生した大地震により被災された地域における諸インフラの今後の出来るだけ早期の復旧およびその後の復興を祈念しております。」

jtsuruki.blogspot.jp