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岩波書店刊・バートランド・ラッセル著「幸福論」pp.54ー55より抜粋引用

「成功感によって生活がエンジョイしやすくなることは、私も否定はしない。
たとえば、若いうちはずっと無名であった画家は、才能が世に認められたときには、前よりも幸福になる見通しがある。
また、金というものが、ある一点までは幸福をいやます上で大いに役立つことも、私は否定しない。しかし、その一点を越えると、幸福をいやますとは思えない。
私が主張したいのは、成功は幸福の一つの要素でしかないので、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払ったことになる、というのである。
この災いの根源は、実業界一般に広まっている人生観にある。
確かに、ヨーロッパには、実業界以外にも威信のある階級がいる。
一部の国には、貴族階級がある。
すべての国には、知識階級があり、二、三の小国を除くすべての国では、陸海軍の軍人が非常に尊敬されている。
さて、ある人の職業が何であろうと、成功の中に競争の要素があることは事実であるが、同時に、尊敬の対象となるのは、ただ成功することではなくて、何でもいい成功をもたらしたすぐれた資質である。
科学者は、金をもうけるかもしれないし、もうけないかもしれない。しかし、金をもうけたほうが、もうけない場合よりも余計に尊敬されることは、絶対にない。
有名な将軍や提督が貧乏だからといって、されも驚きはしない。それどころか、こういう境遇での貧乏は、ある意味では、それ自体一つの名誉である。
こういう理由で、ヨーロッパでは、純粋に金銭のために競争し奮闘するのは、一部の階級だけに限られているし、しかも、そういう人たちは、たぶん最も有力でもなければ、最も尊敬されているわけでもない。
アメリカでは、事情が異なる。陸海軍は、彼らの尺度では、影響を及ぼすほどの役割を国民生活において果たしていない。
知識階級について言ば、ある医者が本当に医学のことをよく知っているかどうか、あるいは、ある弁護士が本当に法律のことをよく知っているかどうか、部外者にはさっぱりわからない。だから、彼らの価値を判断するには、彼らの生活水準から推定される収入によるほうがやさしい。大学教授について言えば、彼らは実業家たちに金で雇われた使用人であり、そういうものとして、もっと古い国々で与えられているほどの尊敬を受けていない。こうした事態の結果、アメリカでは、知的職業にたずさわる人は、実業家のまねをし、ヨーロッパにおけるように独自のタイプを作っていない。それゆえ、アメリカには、裕福な階級のどこを見まわしても、金銭的な成功のための露骨な容赦ない闘いを緩和するものは、何ひとつない。」

jtsuruki.blogspot.jp

ラッセル幸福論 (岩波文庫)

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