鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しています。

国民性について小説、映画などから・・

A「どうも、久しぶり。その後お元気ですか?」

B「どうもありがとうございます。しかし、最近どうも無気力で何をするのも億劫といいますか、とても面倒くさいのです・・もしかしたら鬱気味かもしれないなどと、少し不安に思うこともあります。」

A「しかし、その割にはブログの更新は割合マメに行っているようですが・・?」

B「そうです。
といいますのは「こういう落ち込んだ状態でブログでも更新していなかったら一体どうなってしまうのか?」という不安で更新している部分も多いのです。
あと、書籍の抜粋、自身の文章であれブログの文章を書いている時はそういうのをキレイに忘れているので、それはそれで良い効果があると思うのです・・。」

A「ええ、それはよくわかります・・しかしまたそういう時期も必要ではないかとも思います・・。」

B「どうもありがとうございます。それも自分でもよく分かっているつもりなのですが「この落ち込んだ感じからどうにか脱出できたらいいなあ・・。」とはつくづく思います。まあ、Aさんは既にこういった経験をされていることは重々承知はしていますが・・。」

A「いえ、それは別にいいのですが・・ともかく、ああいう時期はなんとも云えないものがありました・・。
よくわかりませんが、丁度、収容所で生活している様な感じに少し似ているのではないかと思います・・。」

B「ああ、それは確かにあたっているかもしれません。・・そう云われると私は収容所ものの著作や映画が好きなのもそれに何か関係しているのかもしれない・・(苦笑)。」

A「Bさんのオススメの収容所ものの作品って最近は何がありますか?」

B「収容所ものでしたらたくさんあります・・オススメでしたら書籍では会田雄次の「アーロン収容所」ですが、これはもう御存知だと思います。
あと、映画でしたら「第十七捕虜収容所」、「大いなる幻影」などでしょうか?
あと太平洋戦争中の日本軍の捕虜収容所を扱った映画は少なくて、サントラが有名になった大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」とあとは「太陽の帝国」ぐらいじゃないでしょうか?
そういえば、最近アメリカの有名女優が監督して制作されたのがあるらしいのですが、これに関しての詳細はまだわかりません。
ともあれ、先ほどの「戦場のメリークリスマス」ですが、これは音楽も良いのですが、映画内容の方も日本人を考える際に参考になるものが多くあるのではないかと思います・・。
この映画で特に考えさせられたのは、主人公の一人で日本文化に詳しいイギリス人捕虜が日本兵(監守側)に向って「また殺しておいて礼を捧げるのか!?」って叫ぶシーンがあるのですが、そう云われると「日本人とは敵対相手を死をも含む無抵抗な状態にしておいてから自分なりに礼を捧げる、神格化する様な傾向があるなあ。」って気付かされましたね・・。
日本人とは、古来より政争にて敗れた個人、反抗した部族から現代の冤罪や過剰報道などにより死んだ人々に至るまで、どうしても、どうしてもその様にしか対応できないのではないかと考えさせられます。
さらにこれは学校、会社等の組織におけるいじめにも同根の部分が多いのではないかなとも思います。
また、こういったものの起源に近いものの具体例として魏志倭人伝の中に出て来る倭人の風習の持衰(じさい)が挙げられますが、そこからあまり変化していないのかもしれません・・。
ついでに云いますと、これはマレビト信仰にも親和性があるのではないかと思います。
もちろん海外にもこういった理屈のつかない風習、習慣いや、社会のメカニズムと云っていいものは多くあるとは思います。
しかし、日本の場合、そういうのが議論やら審議などの手続きをあまり経ずに変にスムーズに行われる様な気がするのですが?」

A「ええ、確かにそう云われるとそうかもしれませんが、そういえば、海外の小説でしたらカフカの小説で「審判」ってのが確かそういうのを彷彿とさせる内容でしたね・・。
まあ、この作品の怖さの真髄とは、裁判の審理過程が不明瞭で、いきなり死刑の判決が下り、執行、殺されることであって、これは期せずしてか後のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害を予言していたのかもしれません。
カフカチェコのユダヤ人ですし・・。
あとはジョージ・オーウェルの「1984」も大枠で見るとそんなニュアンスがあるかもしれませんね・・。」

B「なるほど、そうですね・・それらの著作から共通して抽象されるのは多分、全体主義国家、管理、監視社会でしょうね・・。
何でも定量化、数値化して考えるようになった社会とは、施政者側から見た、より最適な状態に、なし崩し的に持って行こうとするのかもしれませんね。」

A「Bさんは多分、社会、組織のそういった傾向、特徴を書籍や映画を通して見る、いや見抜こうとする癖があるのかもしれません・・。
しかし同時にそれらは杞憂である場合も多いと前提にした方が精神衛生上いいかもしれないし、また、現在の社会においてはある程度の管理、監視は必要であるかもしれませんよ・・。」

B「なるほど、犯罪等を未然に防ぐと云った意味では確かにそうかもしれませんね。
あるいはこれを自分自身に当てはめて考えると、無気力や落ち込んだ状態の時にそういった考えに囚われる傾向があるのかもしれません・・。
要は原因を自分の外側に見ようとするのかもしれませんね。これはあまり良い傾向ではありませんね・・。
しかし実際のところ一体どうなのでしょうか?
つまり我々が考える対象である歴史、社会などは解釈程度でその本質が変るものではないはずです。
歴史、社会での出来事は全てパラレルワールドで生じたものでなく各々一回きりのものですよね?
それを解釈により、その出来事が持つ意味、比重を変えてしまうと昨今よく見かける明治維新陰謀論みたいなものに行き着いてしまうのではないでしょうか?
その様な歴史観とは、歴史をある一つの大きな目的なり観念でまとめ上げる様な嗜好、志向により生じた、あまり良い意味でない演繹的な発想によるものではないかと思います。
こういったことについては、確か竹山道雄がどこかで書いていた「演繹的な発想、つまりある大前提に基づき、個々の事例の解釈、意味付けを行っていく方法を歴史に対して用いると、それは必ず間違った結果に結びつく。」ということでしたが、それは確かに自身の経験で照らしても合っていると考えます。
それ故、本来、歴史などの世界とは、様々な思想、思考、先ほどの陰謀論をも含み乱立するガラパゴス、カオス、混沌な状態で良いのだと思います。
そういう状態とは、言い換えれば帰納法の要素が沢山ある状態ですからね。
ですから、少なくとも歴史を学ぶ、社会を考える際においては効率性みたいなものをある程度度外視して行う必要があるのではないかと思います。
そういった、いわば雑然とした状態から取り掛かると当初は確かに雑然として作業は難航するかもしれませんが、逆にそういう状態から始めなければ結果的に自分なりのクリアな歴史、社会像へピントを合わせることが難しくなってしまうのではないかと思います。
そしてその意味で理系的な方法論とは、その時の取っ掛かりの一つとして適しているのではないかと思います。
また、それに加えて、自分が扱う歴史、事物に関連する具体的な物に触れる、作製するなどをして、その本質に自分なりに触れるといったことが大事ではないかと思います。
こういった作業は3-Dプリンターの様な便利な機器が出てきた現代だからこそ、それに逆行して行う、つまり効率性を無視して行うことに大きな意味があるのではないかと思います・・。
このことを端的に云いますと学問、研究に対し身体性を付与するということではないでしょうか?
その意味で、昔の学者、研究者とは、便利な周辺機器が発達していなかったという時代状況もあり、無論、個々人の多大な努力が前提ですが、今では考えられないような知の巨人が生まれたのではないでしょうか?
具体例として南方熊楠牧野富太郎、柳田邦男、金関丈夫宮崎市定加藤周一あたりがそうではないでしょうか?
また、それに加え、戦争経験等により身体性を自身の思想、知識体系に否応無く取り入れざるを得なかった方々もいます。
これは全体的にもう少し年代が下り司馬遼太郎会田雄次山本七平大岡昇平などの方々がそうではないでしょうか?
これらの方々は平時であれば、そのまま当時の研究者、会社員などとして平穏に過ごすことが出来たのですが、まあ、そういう時代に当ってしまった方々です。
また彼等の文章は読んでいて、やはり戦後世代の著述家のそれよりも全体的に内容が重厚であり、その思想の射程は長く、より多くの普遍性を有するのではないかとも思います・・。」

A「しかしそういう特殊な経験を経た著述家は現代においてはもう既に絶滅種に近いもので、その読者も現在では価値観を共有できないことから今後徐々に離れていくのではないかなと思いますが・・。」

B「それは悲観的過ぎる意見であると思います。
どのような作品であれ、本当に良いものは歴史を越えて生き残るのではないかと思います。
外国の話になりますが、例えばカエサルの「ガリア戦記」なんて二千年以上前に書かれた文章ですよ。
あれは英訳で読んでみても、文章の運び方などから「古代ローマの人間とはこういうものだったのだろうな・・」というのを強く感じさせますね。」

B「なるほど「良いものは歴史を越えて生き残る」ですか、本当にそうでしょうか・・?私は逆に「歴史を越えて生き残るのが良いもの」であるのではないかと思いますが、こうなるとまたニワトリとタマゴの話になって更にややこしくなってくる様な気がしますね・・。」

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