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鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しております。

インプットとアウトプットの関係について

A「これまである程度ブログを書いてきましたが、それで最近ブログに関してインターネットで調べてみたところ、どうやらそこでの一般論では当初は質より量とのことでした・・。
それで、このままブログを書き続けてゆくと何かを貫通して、より一層ふっ切れた良い文章を書けるようになるのでしょうか?」

B「私も仕事柄色々と書いておりますが、やはり何かしら書き続けているとそうした変化はいずれ訪れるのではないかと思います。
ですから、現在はとりあえず書き続けること、継続することが大事ではないでしょうか・・。
また、Aさんのブログは理系、文系どちらともいえないですし、時折出てくる小ネタが面白いこともありますので、人、投稿によっては興味深く読めているのではないかと思います。
もっとも、その数は必ずしも多いとは思えませんが・・。
また、それはAさんの自然な流れでそのような内容、文体になったと思いますので、今後も自身の能動性によるもの以外で大きく変える必要はないと思います。」

A「・・はあそうですか、どうもありがとうございます。
それで最近思うのですが、私はこれまでそうした環境にいたため、ある程度文献、書籍を読む機会に恵まれました。
そして、それはいわゆる自身に対する入力、インプットです。
それに対し出力、アウトプットの方はこれまであまり行ってこなかったと思うのです・・。
この入出力、インプット、アウトプットにおいてもまた均衡、バランスが重要であり、私はこれまで読んできた文献、行ってきた研究に対し、過小あるいは制度上求められる最小限のアウトプットしかしてこなかったのではないかと思うのです・・。
そして、そうしたインプット偏重の状態が続くと、どうも様々な意味で具合が悪くなってくるのではないかと思うのです。
しかし一方、では誰が私の出力、アウトプットした文章を読むのか、そしてそれを読む価値のあるものとして認めるのか、とは、やはり不安をおぼえる要素であるのです・・。
その点、理系、文系問わず、研究に基づいた文章、論文とは、その研究分野が存在する限り、少なくとも研究上の必要性により誰かに読まれるものです。
その意味において、現在の私は研究等に従事しておりませんので、そのアウトプットの形態とは、自然な流れで散文的なものになるのです・・。
しかし、私はこれまで散文などはあまり書いた経験がありませんので「さて、どうしたものか?」と考えた結果、これまでに経験した学問的内容を含む議論、会話を抽象、結晶化させた文章を書けば、それはそれで出力、アウトプットとなるのではないかと考えたのです・・。
そして、その際に思い出したのは、修士院生時代によく会議の議事録を作成したことです。
この議事録作成は当初なかなか苦労しましたが、自分なりに工夫して、まあ、どうにかなったのではないかと思います。
とにかく、議事録作成とは、現在継続作成している対話形式のブログの一つの基礎になったのではないかと思った次第です。」

B「なるほどねえ、そうした経験もあって、現在の対話形式のブログにたどり着いたというわけですか・・。
また、入出力の均衡の話はなかなか面白く、たしかにそういった要素は心身に対して何らかの影響があると思います。
そして、その意味においてブログやSNSなどは便利な道具なのだろうね・・。
しかし、そこでも重要なことは、入出力の均衡であり、出力、アウトプットばかりが多いと意識の有無を問わず、これもまた何らかの悪影響が出てくるのではないかと思います。
あるいはまた、この入出力を言い換えると、受容、放出となりますが、この二要素とは、前者が女性的、後者が男性的要素に相当するのではないでしょうか?
その意味でブログ記事の投稿などは放出、つまり男性的であり、一方読書などは受容、つまり女性的な要素に相当するのではないでしょうか?」

A「ええ、そうした要素の性別による分類とは、多くの文化において見受けられると思います。
たとえば船のことを女性として扱うことや、それと最近面白いと思ったのは、地表からの凸の要素である山は英語でいうと「mountain」であり、同じく凹の要素である泉は「fountain」なのですが、双方の頭文字はMとFですよね、そしてこれは同時にMale、Femaleの頭文字なのです・・。
おそらくこれらの言葉の根源には男女性別要素があるのではないでしょうか?」

B「・・なるほど、いわれてみるとたしかにそうですね(笑)。
それはなかなか面白い指摘かもしれない・・。
それと不図思ったのだけれども、この受容、放出の要素ですが、農耕、狩猟民族間でもそのあらわれ方に違いが出てくるのではないかな・・。
以前読んだ太平洋戦争の南方戦線での戦記もので、前線で物資不足で苦労した兵士が司令部の在所に帰還し、物資が豊富な兵站倉庫を見て憤慨するというのがあったけれど、そこで書かれていたことは、日本人のような稲作農耕民は、物資を倉庫に貯めて出し惜しみする傾向があるのではないかとのことでしたが、これは案外当たっているかもしれないし、また飢饉などの際にの打ちこわしの主要な原因もそういったところにあるのではないかな・・。
そうしたことから、日本人とは放出、つまり使うことよりも受容、蓄積に偏重するような傾向があるのではないかと思います・・。」

A「・・ええ、国別の貯蓄額などもそういった傾向を示唆するのではないでしょうか?
また、それに加えて、世代別の資産額などもなかなか現在の我が国においては重要であり、興味深い事実を示すのではないかと思います・・。」


B「うん、そういうのを見聞きしますと、何だか「日本残酷物語」を彷彿とさせますね・・。
あそこで描かれている頃の社会から比べて現在の社会とは本当に進化しているのでしょうかね?
また、そうでないとしたら、その原因の一つ、つまり進化を阻む要因として、我が国の国民性ともいえる受容、蓄積の偏重が挙げられるのではないかと思います・・。
ですから、一見あまり経済的に有益でない学問分野などに従事している、あるいは、そのような内容を発信している方々に対しての資産の放出の質量を改善していただけたら、大変助かります・・(苦笑)。」

jtsuruki.blogspot.jp