鶴木次郎のブログ はてなブログver

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日本刀について・・

A「やあ、久しぶり。最近調子はどうですか?」

B「ええ、相変わらずです。パートで働きながら求職活動を続けていますよ。」

A「そうですか、今度はあまり以前ほど手当たり次第に応募しない方が良いですよ。」

B「ええ、アドバイスどうもありがとうございます。
ですから今回は結構絞って行っているつもりです。
しかし、あまり絞り過ぎるのも良くないですからね・・この見極めが結構難しいのです・・。
そういえば、先日本屋に行きましたら、最近はどうも日本刀が静かなブームの様ですね。
関連する雑誌、書籍が多く出ていましたよ。
これは大変面白いですね。
最近の日本社会の排外的いや国粋主義的な傾向を示しているんでしょうかね・・?」

A「確かに城、甲冑、日本刀みたいなものが流行るのは大体そういう時期だと思いますから・・。
それに日本人の特に男性は日本刀にどうも強い思い入れがあるようですからね・・・
終戦直後にGHQがテコ入れしたくらいですから。
あと、それに加えて特に最近の特に若い世代について云えるのは幕末を舞台にしたものや、舞台、時代設定が和洋折衷の海賊を扱ったマンガからの影響などがあるのではないでしょうか?」

B「そうですね。バスケットボールのあの有名なマンガから例の海賊ものや巨人と戦うものまで、大勢でその背景世界、価値観を共有できるこれらのいわゆる「国民的」なマンガとは、ある意味、現代の神話といってもいいかもしれません。」

A「ああ神話ですか・・確かにそうかもしれませんね。
しかしそうだとすると、我々の世代の神話って何でしょうかね?」

B「我々の世代には沢山の操縦ロボットものに加え、昔からのマンガの巨匠の作品がまだ同時代のものとしてありましたから、それらが神話としてのマンガにあたるのではないでしょうかね?
しかし、私の場合どういうわけか途中から小説ばかり読むようになってしまいましたが・・。」

A「それでしたら私もそうかもしれません・・。
あと私の場合はこれまたどういうわけだか古典ばかり読むようになりましたね・・こういうのは環境あるいは自身の性質によるものなのかは今でもよくわかりません・・。
ちなみにBさんはどういう小説を読むようになったのですか?」

B「色々な話でよく出しているのでお分かりかもしれませんが司馬遼太郎はよく読んでいて、小学校高学年あたりから現在に至るまで、何となく引っ張り出してきては読んでいます。
そしてその当初の時期と被りながら夏目漱石、海外の作品などにも徐々に手を出すようになっていきましたね・・。
そういえば、先ほどの話に戻りますが、司馬遼太郎の作品にも日本刀にまつわる話が結構ありました・・。
例えば清河八郎と七星剣についてや、近藤勇の虎徹、沖田総司の菊一文字や、高杉晋作田中光顕をとり結んだ刀とか、坂本龍馬陸奥守吉行とか、まあ今ざっと思い出してもこれくらいあります。
しかし、よく考えてみると司馬遼太郎は戦時中に軍刀ですが実際に御自身で日本刀を扱っていたわけですが、それについての記述はこれまでに読んだ記憶がありませんね・・。」

A「まあ昭和の軍刀と日本刀はまた別物ですからね、確かに双方共に形状は似ていますが、大半の軍刀は大量生産のいわば工業製品ですからね。
さらに下士官用の軍刀などになりますと見るからに工業製品でして、これはこれで工業製品に見られるような実用的な美しささえ感じさせます。そしてこれらは当時、アメリカから輸入されたスクラップの自動車の板バネからも作られていた様で「スプリング刀」という言葉も確かその当時のものではないでしょうか?」

B「そうです。そしてそのあたりのことは確か山本七平著作に多く書かれています。彼も戦時中フィリピンの戦場にて実際に軍刀を扱っていましたから。
しかし、戦場における軍刀の様々な生々しい記録を読みますと、現在の日本刀ブームも何やら日本社会の持続する重低音の様な、あるいは流行神(はやりがみ)信仰の様にも見えます。
何故なら日本刀であろうと他の国のどの武器であろうと、武器は武器つまり人を殺す道具ですから、本質的に中国の青竜刀、コサックのシャシュカ、古代ローマグラディウスなどと変りはないはずです。
しかしそれでもその背景の物語、伝説などを絶対化し、特別視、神聖視しようとするのは北清事変における義和拳と同じ様な傾向があるのではないでしょうか?
そういうものは確かに人々をまとめ上げ、気勢を上げるのには有効であるのかもしれませんが、科学技術、知識がここまで発展、普及した現在においてはどうしても(局外者、部外者から見れば)アナクロニズム、時代錯誤的にしか見えないはずです。
そして、そういった時代状況においてもなお、こういった流行現象が見られるのはどうも不思議であり傍目からのん気に見れば面白いわけです。
さらに加えてこのテーマを戦時中に置いてみますと、第二次世界大戦当時の各国軍隊で指揮官クラスが戦場において帯刀していたのは旧日本軍ぐらいだったのではないでしょうか?
日本に西洋式の軍隊が導入された当時、つまり19世紀後半あたりにおける西欧諸国の軍隊では、それ(帯刀)が中世の騎士からの伝統で普通であったのかもしれませんが、その後の更なる銃火器の発展等による戦闘様相の変化から指揮官クラスの帯刀とは西欧諸国において不要、不都合なものとなり、徐々に廃れていった(下に示す動画を御覧ください。)のですが、日本においてはそれがおそらく同時期あたりから不思議なことに逆に活性化、強化された様に思われます。
これは日本が第一次世界大戦をその主戦場にて経験しなかったからであるという様な単純な外的要因によるものだけではないと考えます。
そして、さらにこれと類似の現象として、東アジア規模における日本の銅鐸、そして日本国内地域毎における銅鐸の意匠を含む形状、寸法などの相異が挙げられるのではないかと考えます。
そしてここまで考えると、今度は福沢諭吉の「文明論の概略」で述べられている日本人の好ましからぬ傾向としての「惑溺」が挙げられるのではないかと思います。
この福沢諭吉の云うところの「惑溺」とは、まあ平たく云えばフェティシズムみたいなもので、何らかの物体なり観念を絶対化して神聖視する様な傾向です。
こういうのは、あるいはまた別の云い方をすればカルトともなりますが、どうも我々日本人とはこういうものに大変弱いというか、受容的というか、よく分からない性質を持っていると思います。
そしてその背後にあるのがそういったフェティシズム、カルトの核となるものに対しての凝集性の強さ、あるいは凝固の早さが挙げられると思います。
これについて最近思うのは、よく云われる「空気を読む」の「空気」そしてその起因の背景には日本が比較的温暖湿潤な島国であることからこの様になるのではないかということですが。これは今後更に考える必要があります・・。」

A「最後の方はどうもよくわかりませんが、何となくは分かりました。そして追加として、先ほど私が云った舞台、時代設定が和洋折衷の海賊のマンガの作者は確か熊本県御出身なのですが、熊本と云えば、明治初期確か9年(1876)でしたかね?神風連の乱が起きた場所でしてね、これはその前に出された廃刀令に反対、抗議するものであり、先ほど仰った日本刀に対する、何ですか、その「惑溺」に関連するのではないかと思いました。
しかし同時に、こういった解釈で両者(神風連の乱、マンガ作者の出身地)を短絡的に結びつけるのも「如何なものか?」あるいは少し云い方は悪いかもしれませんがいかにも第三者的、外国人的すぎる発想であるのではないかとも思います。
何故ならば、この神風連の乱が生じるまでの経緯を在地者の視点で述べられている「石光真清の手記」などを読みますと、どうもその様な解釈とは、表層的過ぎる、あるいはその当時の決起した人々の止むに止まれぬ状況を無視し過ぎているのではないかと考えさせるからです。しかし一方において歴史とは、その様な主体者の事情、内実をも吞み込んで進行してゆくものであることから、こういうものを結びつける考察、解釈とは実に難しいのではないかと考えさせられます・・。」

B「それはまったく仰る通りであると思います。
そしてそれだからこそ、西郷隆盛は逆賊の将であると同時に英雄でもあるのではないでしょうか?
そして、これを一面的、一方的に解釈してしまっては、それこそ「歴史の神様に申し訳ない」のではないでしょうか?
また、本来こういったことは国内の歴史のみならず国家間の歴史の認識においても適応できるのではないかとも考えます。・・しかし、まあ、これが国際的なものだけに更に難しいのでしょう・・。」


Young Winston - British cavalry charge at Omdurman
開始後1分15秒あたりから

チャーチル
上に示す書籍「チャーチル」のp.81あたりを読んでみてください
動画との関連性がわかります。