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人間と技術との間接的な結び付き および 相転移・相変態について・・

A「昨日ブログ記事にて書いた内容とは、後になり考えてみますと、以前抜粋したエルンスト・ユンガー著月曜社刊「労働者・支配と形態」の下に示す内容とも関連がるのではないかと考えさせられます・・。

「しかしながら、人間が技術と直接的でなく間接的に結び付けられていることを認識するならば、ひとは、これと全く異なる判断に到達する。

つまり技術とは、労働者の形態が世界を動員する方法なのである。

人間が決定的に技術との関係を取り結ぶ程度、人間が技術によって破壊されるのではなく支援される程度は、労働空間において通用する言語に熟達することにほかならない。

この言語は、文法のみならず形而上学をも有するがゆえに、他のどんな言語よりも重要で深遠である。

この関連において、機械は、人間同様、二次的な役割を演じる。

機械は、この言語が語られる発声器官の一つにすぎないのである。
さて、技術を、労働者の形態が世界を動員する方法として理解すべきであるとするならば、まず、技術がこの形態の代表者、すなわち労働者に特に適合しており、その意のままになる、ということが証明されなければならない。」

上掲抜粋文中に記されている「人間と技術が直接的でなく間接的に結び付けられている」とは、通常の状態において人は自身の専門における特有の言語、言語体系そして、それらによる形而上学を意識上に顕現させた状態ではないものの、何らかの必要性、契機により、突如それらが意識上に顕現し、それを行使することになるということではないでしょうか・・?

そして、この顕現のきっかけとなる必要性、契機といったものが、性質は(おそらく)異なるものの、心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックの現出(顕現)のメカニズムと類似しているのではないかとも考えられますが、これを読まれている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

とはいえ、無論このことにより、心的外傷(トラウマ)によるフラッシュバックが好ましいものであるとは短絡的には考えません・・。
しかし、同時に、この著者(エルンスト・ユンガー)のように数々のホンモノの戦場を潜り抜け、危険な状況を生き延びてきた方が上掲内容の文章を記す背景においては、心的外傷、フラッシュバックという言語を用いなくとも、あるいは同様の人間の精神、心のメカニズムを示しているとも考えられるのではないでしょうか?

また、さらにこのことに異言を試みますと、こうした現象、メカニズムとは物理、化学用語でいう相転移、相変態などにも何かしら類似した要素があるのではないかとも考えられます・・。

そして、このように記しておりますと、以前抜粋した井筒俊彦著、岩波書店刊「意識と本質 精神的東洋を求めて」および、それを補完する目的にて抜粋した「岩波理化学辞典」第5版の「相転移」の説明が想起されるため、これら両著の主要抜粋部分を下に示します。

井筒俊彦著 「意識と本質 精神的東洋を求めて」

「思うに、人は誰でも、その霊妙な心のうちに必ず知(事物の本質認知の能力)を備えており、他方、天下に存在する事物、一つとして本来的に理を備えていないものはない。ただ(心の表層能力だけしか働いていない普通の状態においては)事物の理を窮めるということができない。つまり、せっかく人間の心に備わる知もその本来の機能を充分に果たすことができないというわけだ。

されば、儒教伝統における高等教育においては、必ずまず何よりも真っ先に、学人たちに、自分が既に理解しているかぎりの事物の理を本として、およそ天下に存在するすべての事物の理を次々に窮め、ついにその至極に到達することを要求する。こうして努力を続けること久しきに及べば、ある時点に至って突如、豁然として貫通するものだ。そうなれば、一切の事物の表も裏も、精も粗も、あますところなくそっくりそのまま開顕し、同時にその心の広大無辺の働きが残りなく明らかになる」

「格物(窮理)を実践するためには、あらゆる物について、それぞれのその理を窮め尽さなくてはならないのでしょうか。それとも、ただ一つの物だけ取り上げて、その理を完全に窮めてしまえば、あとはそのまま万理に貫通することができるのでしょうか」。

伊川は答える、「たった一つの物の理を把握しただけで、どうして一時に万理に貫通することができよう」。
だが、と彼は付け加える、そうかといってまた、天下にあるかぎりの一切の理を窮め尽せというわけではない、と。
先に引用した一文(「遺書」十八)がこれに続く。曰く、「今日は一物の理を窮め、明日はまた別の一物の理を窮めるというふうに、段々に積習していくべきであって、こうして窮め終った理が多く積ると、突然、自らにして貫通体験が起こるのだ」と。つまり、あらゆる事物のあらゆる「理」を窮めなくとも、習熟の度が或るところまで来ると、突然、次元転換が起こる、というのである。

ということは、しかし、「窮理」の最終的目的からすれば、事物の「理」、すなわち一物一物の「本質」そのものがそれ自体として問題なのではない、いやそれも問題であり重要であるにしても、むしろそれより、こうした修練を通じて、事物をそういう形で、そういう次元で、見ることの出来る意識のあり方を現成させることの方が、はるかに重要なのだということである。そのような意識の次元が拓かれて、全存在世界の原点である「太極」そのものを捉えてしまえば、ひるがえってその立場から、経験的世界の個々の事物に分殊して内在する個別的「太極」を窮め尽すことなど、いともたやすいことなのである。」


「岩波理化学辞典」第5版

相転移
相変化(phase change)ともいう。温度、圧力、外部磁場、成分比などの変数の変化によって物質が異なる相に移る現象。
原子、分子などミクロの構成要素の相互作用による協力現象である。
相転移には第1種相転移と第2種相転移がある。
固体の融解、同素変態(→変態)、液体の気化などは第1種相転移に属し、鉄などの強磁性体がある転移点(キューリー温度)で常磁性に変るのは第2種相転移の例である。



1) 第1種相転移(phase transition of the first kind).
熱平衡状態として2相の化学ポテンシャルμ1,μ2が等しいという条件で定まり、温度T,圧力Pによるそれらの1次導関数は不連続となるので、1次相転移(first order transition)ともよぶ。この場合、エントロピーや比体積は不連続であり、転移熱(潜熱ともいう。それぞれの場合、融解熱、蒸発熱などという)が伴い、P-T面における2相共存線についてクラウジウス―クラペイロン式が成立する。相1から相2への転移には新しい相2の核の生成が必要なので、準安定な過熱あるいは過冷却として相1が転移点を越えてある限界まで存続し続けることがある。



2) 第2種相転移(phase transition of the second kind).
化学ポテンシャルの1次導関数が転移点で連続で、転移熱(潜熱)はなく、また比体積の不連続もない。

2次導関数は不連続で、比熱や磁化率などが転移点で不連続となるので、2次相転移(second order transition)と呼ばれる(3次以上の導関数の連続性を論じることによって、より高次の相転移を定義することもできる)。比熱が転移温度の上下でギリシャ文字のラムダのように発散する場合が多いが、それをλ転移という。このタイプの2次相転移は臨界現象と呼ばれ、一般にある秩序変数に関する秩序―無秩序転移であって、合金結晶中の原子配列規則化、磁性体における種々の磁気的秩序の生成(磁気転移)、常伝導状態から超伝導状態への転移、液体ヘリウムの超流動状態への転移など、重要かつ興味ある多くの例がある。
2次相転移の理論は非常に進歩し、臨界点付近の異常性について深い理解が得られている。→臨界指数

これらを再度抜粋し、読んでみますと、私も含め、我々は人間の精神に対する理解が未熟であり、あるいは、前著に述べられている古の儒教伝統の方が、現代の我々よりも人間精神に対する賢明な見解を持っていたのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。

ここまで興味を持って読んでくださった皆様、どうもありがとうございます。

さる四月の九州、熊本を中心とする大地震にて被災された地域のできるだけ早期そして着実な諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

jtsuruki.blogspot.jp