鶴木次郎のブログ はてなブログver

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20160815

A「本日2016年8月15日分のブログ記事とはインターネット接続が出来ない環境にて作成しております。

こうしたインターネット接続が叶わない環境にてブログ記事作成を行うのは、かなり久々であり、仕方なく白紙のワード文書にて作成しはじめました。

とはいえ、このような若干の環境の変化により記事が思い浮かばなくなるということもなく、如上のように何かしら記しはじめた次第です。

さて、本日は終戦(敗戦)記念日であり、また同時に我が国の暦上においてはお盆(祖霊を祀る行事)ということもあってか、本日の通勤電車は普段に比べ幾分か空いておりました。


また特に本日8月15日は終戦(敗戦)記念日ということからではありませんが、久々に丸山眞男著・筑摩書房刊の「忠誠と反逆」を取り出し読んでみました。


そして、この著作表題となっている「忠誠と反逆」

ISBN-10: 4480083987
ISBN-13: 978-4480083982

(pp.7-136)とは、現代の我々が読んでみてもたいへん興味深い内容であり、就中その中の福沢諭吉の思想について触れた部分とは、我々日本人の近現代史(あるいはそれ以前をも)を考える上で大変興味深い記述が散見されるのではないかと思われます。


では、その一節を下に示します。

PP.55-58

「天下の大勢」という客観的な法則はあくまで法則であり、「勝てば官軍」という事実はあくまでも事実である。
しかしこの法則なり事実が自我の次元において忠誠転移の根拠になり口実となることに福沢は我慢がならなかった。

いわゆる絶対的な名分論がもし純粋に自我に内面化されたものならば、それは「盲目」であり「愚鈍」ではあっても、こうした滔々とした転向は生まないはずである。

とすれば「今の所謂大義名分なるものは、唯黙して政府の命に従ふに在るのみ。」したがって万一、西郷の企てが成功したならば、おそらく現在西郷に逆賊のレッテルをはっている役人どもも「寝返りの易くして神速なるべきは智者を俟たずして明」らかであり、「其、新聞記者の如きは展転反側の最も自在にして最も妙を得たる者なるが故に、忽ち筆を倒にして後へを攻め、以て正三位陸軍大将西郷隆盛公の盛挙を賛成」するだろう。

「実は人民の気力の一点に就て論ずれば、第二の西郷を生ずるこそ国の為に祝すことなれども、其これを生ぜざるを如何せん。余輩は却て之を悲しむのみ」。

この立地点が、後年、勝海舟榎本武揚の行動を「三河武士の精神に背くのみならず、我日本国民に固有する痩我慢の大主義を破り、以って立国の根本たる士気を弛めた」ものとして痛烈に論破した「痩我慢の説」にまっすぐ連なっていることはもはや喋々を要しない。

福沢における「痩我慢」の精神と「文明」の精神と、「士魂」と「功利主義」との矛盾あるいは二元性ということがしばしば指摘される。

抽象的に二つの「イズム」をとりあげるならば、たしかにそうもいえるだろう。

しかし思想史の逆説と興味は、まさにそうした抽象的に相容れない「イズム」が、具体的状況のなげかけた「問題性」に対する応答としては結合するというところにある。

あたかも幕末動乱に面して武士における家産官僚的要素と戦闘者的要素とが分裂したことに照応して、忠誠対象の混乱は、「封建的忠誠」という複合体の矛盾を一挙に爆発させた。家産官僚的精神によって秩序への恭順のなかに吸収された君臣の「大義」は一たまりもなくその醜い正体をあらわした。

しかもいまやその同じ「秩序への恭順」が皮肉にも「上から」もしくは「外から」の文明開化を支える精神として生き続けているではないか。
矛盾したものの結合は実は福沢の批判する当の対象のなかにあるものであり、「近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如し」という状況判断に立った福沢は、右のような形の「封建性」と「近代性」の結合を逆転することで―すなわち、家産官僚的大義名分論から疎外され現実の主従関係から遊離した廉恥節義や三河(戦国!)武士の魂を、私的次元における行動のエネルギーとして、客観的には文明の精神(対内的自由と対外的独立)を推進させようとしたのである。


「丁丑公論」における「抵抗の精神」の力説と、「学問のすすめ」や「文明論之概略」における「人民独立の気象」の要請とは、こうして福沢の立場においては密接につながっていた。

たしかに福沢は「封建的忠誠」の分解をラディカルに推しすすめたが、その作業は、単純に「封建的」に代わって「近代的」なものをすげかえるのではなくて、現実に進行していた解体を利用して、その構成契機の役割を転換させることにあった、封建的忠誠における外面化の傾向をしてむしろ徹底させ、これをパブリックなものに高めよ。そのことによって私的=心情的契機はかえって個人の内面に定着するだろう―これが維新後の「集団転向」の現実を前にした福沢の苦肉の処方箋であった。
葉隠」の非合理的な忠誠が逆説的に強烈な自我の能動性をはらんでいたのとちょうど裏腹の関係で、福沢はむしろ非合理的な「士魂」のエネルギーに合理的価値の実現を託した。

「本来忠節も存ぜざる者は終に逆意これなく候」というのが「葉隠」のダイナミズムであったとするならば、逆に、謀叛もできないような「無気無力」なる人民に本当のネーションへの忠誠を期待できるだろうかというのが、幕末以来十余年のあわただしい人心の推移を見た福沢の心底に渦まく「問題」だったのである。」



さて、上掲の著作が著されて(1960)から半世紀以上経過しております。

そして、意外ではあるかもしれませんが、ここに述べられていることは現在の我が国諸々を考える上においても示唆するものが多いのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」


jtsuruki.blogspot.jp