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鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しております。

もう一人の師匠について P51 兵器開発 武器貸与法

A「昨日投稿の「輪読会」についての記事は投稿翌日のわりには多くの方々に閲覧して頂いた。
これを興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
さて、本日はそれとはまた別にお世話になった師匠について記そうと思います。
この師匠との出会いは、大学3年生の頃であり、その頃の私は体育会に属しながら、一方において様々な書籍を無軌道に読んでいた。
こうしたことは部活内ではあまり知られず、評価もされず(当たり前ではあるが)、私のそうした行動を知っている部員の方々は少なかった(殆どいなかった)のではないかと思われる。
それ故、当時の私の無軌道な読書を知っていた、感づいていたのは、主に部活動以外での知人であった。
そうした知人の一人に誘われ、新しく着任してきたという教員(師匠)の研究室に行ってみようということになった。
この教員(師匠)とは、それまで長い間海外の大学に留学されていたということであり、今回の着任がはじめての就職ということであった。
知人に連れられ、研究室に入ると、文系教員の研究室の類例にもれず、大量の和洋の書籍が書棚、机上を問わず置かれており、また、それと同時に、これまた大量の軍艦、戦車、飛行機などのプラモデル、クラシック音楽のCDがいくらか整然と室内各所に置かれていた。
これまでにそうした教員にお目に掛かったことはなかったため、興味を示し、置かれてあった一つのプラモデルの飛行機を興味深げに眺めていると、おもむろにこの教員(師匠)が
「君、**君といったけ、君が見ているその飛行機の名前を知っているかね・・?」と尋ねてきた。
その声はいくらか甲高い、明瞭ではあるが多少早口気味の話し口調であった。
私は再度、その飛行機のプラモデルをよく見てみると、その塗装は典型的な第二次世界大戦欧州戦線でのイギリス空軍のそれであったことによりホーカー・ハリケーンあるいはスーパーマリン・スピット・ファイアではないかと思われた。
しかし、その主翼の形状、胴体下部の特徴的な丸みを帯びた張り出しから、それは同時代のアメリカ軍の機体P51ムスタングであることが分かった。
それ故、この旨を質問の主(師匠)に返答すると、満足気に頷き、この珍しい塗装が為された機体の来歴を第二次世界大戦開戦当時の兵器開発事情、国際情勢から説明され、結びのコトバとして「こうした一つの兵器からもまた、国際情勢および近現代史の一幕を理解することが出来るのです。」といったことを述べられた。
そのハナシは大変興味深く、また私としては、この教員(師匠)が一応満足して頂く程度の返答をすることが出来たことが、何だか大変誇らしく、そのためか、その後折を見ては、この教員の研究室に足を運ぶようになった。
また、時代が良かったのか当時はこうしたことも大目に見られていたようであり、師匠が講義に出ている間、私が研究室で読書をしているということも度々あった・・。
そして、部活も引退する時期になると、この傾向は一段と強くなり、ついには大学院に進学し、さらに欧米文化、歴史について研究してみようと考えるに至ったのである。
また、幸運なことに、このブログにて何度か取り上げているようにごく親しい親戚の一人(これもまた師匠)が文系学問分野にて大学教員、研究者の職に就いていたことから、当時のこうした願望をこの親戚に打ち明けたところ「それはいい考えであると思うけれども、とりあえず何年か社会に出て働いてみて、それでも大学院に行きたければ、その時に行けば良いと思うよ。」と云われ「なるほど、そういうものか。」と納得し、就職活動を行い、企業に就職した次第である。
しかしながら、この時の影響とは、その後も尾を引き、生き続けたようであり、結果として5年間会社にて働いた後、大学院に進学することになった。
とはいえ、この間に生じた大きな変化とは、自身の希望する研究分野に関してである。
そのことについては、以前ブログ記事にて記したが、次の機会に改めて記そうと思う。
今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる四月の熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念いたします。」

jtsuruki.blogspot.jp