鶴木次郎のブログ はてなブログver

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未知の土壌に対する掘削・・賭け?

A「本日の首都圏は気温はこの時期にしては上昇しましたが、夕方前あたりから雨が降りはじめ、現在もなお降り続いております・・。

久しぶりの長編を読み終え、現在は特に新しい長編を読むという気分にもならず、これまでに手持ちの書籍をいくつか拾い読み、斜め読みしているような状態です。

そういえば、先日11月8日に投稿した記事「コトバ・言語の解像能および詩、普遍とは・・」は、おかげさまで、思いのほか閲覧者数が伸びました。

そうしたことから、このコトバ・言語の解像能といったことに対し寒心を寄せている方々が少なからずいるのではないかと推察されます・・。

また、これは私にとっても大変重要なことであり、特に何か新しいことを習得するにあたり、その初期にぶつかる壁が何れの分野であれ「コトバ・言語の体系」ではないかと思われます・・。

そして、この壁を超える方法とは、とにかく、その分野について記された著作、文献を出来るだけ多く読んでみるということではないかと思われます。

その中で、その分野における常識らしきものが徐徐に見えてくるようになり、またそれに伴い、自身もそこで得た常識を用いて、何かしらの発信が可能になるものと考えます・・。

そして他者との、その分野についての議論・対話を行うことにより、さらにまた、その分野のコトバ・言語の体系が明瞭になるものと考えます。

そして以上の過程を通じて得られる精錬された認識の体系を再度発信、他者との議論・対話を行うことにより、その体系とはさらに精錬され、徐徐にその本質を(自分なりに)理解できるようになるものと思われますが、さて如何でしょうか・・?

こうした視点にて考えてみますと、これまでどうにか継続的に作成している一連のブログ記事とは、議論・対話の過程が抜けているため、その精錬の度合いについては、かなり大きな疑問が残りますが、基本的には、そうした試み、たとえていうと円錐状の掘削機(ドリル)にて何やら未知の土壌(らしきもの)を少しずつ掘り返しているような感じを受けることがあります・・(笑)。

そして、掘り返しているという実感を受けるのが、かつて文章化して表現することができなかった事柄・主題に対し、どうにかそれを著すことが「出来た!」と思う時です・・。

とはいえ、実はその著したい内容、主題とは、本来(自身の中では)さらに複雑なものであり、それを文章化することが出来たと感じること自体、何といいますか、その時点での自身の文章による解像能の限界であり、ひいては思考の限界でもあるのではないかと考えさせられます・・(苦笑)。

そうしますと、ヴィトゲンシュタイン著「論理哲学論考」内の「語り得ぬものについては沈黙せねばならない」という言説に対し、幾分かその意味の重みを認識することが出来るのかもしれません・・。

とはいえ、そこに留まり続けることには進化・発展といったことは望めず、それこそ回遊魚のように動き続けなければいけないのかもしれません・・(苦笑)。

そして、それがさきに述べた掘削機(ドリル)の駆動とも関連し、それにより(未知の土壌を)少しづつ掘り返すことを可能ならしめているのかもしれません・・。

あるいは、そのようにでも考えないことには、一連のブログ記事の継続的作成に対し、何かしらの意味を付与できないといった切羽詰まった側面もまたあるのかもしれません・・(苦笑)。

とはいえ、これもあくまでも主観的な考えであり、また幾分がブレーズ・パスカルの「パンセ」内に記されているパスカルの信仰に対する賭けに類似した構図であり、無意識のうちにそれを私が借景しているのではないかとも思えてくるのです・・(苦笑)。

とはいえ、今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる熊本での大地震、昨今の山陰東部における大地震によって被災された地域の今後出来るだけ早期の復旧および復興を祈念いたします。」

jtsuruki.blogspot.jp