鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しています。

「Obsession」

A「おかげさまで昨日初めてブログの1日の閲覧者数が1000人に到達しました。

また、同様に昨日久しぶりに神保町に行き、古本屋の店頭で何気なく目に入った「少女怪談」という様々な作家による短編集をパラパラと立ち読みしていると、期せずして、その中の森村誠一による「青の魔性」という作品を読み入っておりました・・。

私は特に「少女が好き」という傾向は持っておりませんが、この作品の内容とは私からしますと、それが少女でなくともハナシのスジには特に支障がないのではないかと思いました・・。

その上で、この作品の内容に関して何となく「分かる」という感じを受けました。

そして、作品冒頭部に書かれている「憑りつかれる」といった感覚とは、物理的現象としては認識し難いものの良くも悪くも実際に存在するのではないかと思いました・・。

また、このようなことを書くと「この人は少しおかしいのではないだろうか?」などと思われる方々もいらっしゃるのではないかと思います。

しかし一方、それはプラスな意味合いでは、自分以外の誰かから「元気をもらう」「癒される」などと普通に言い表される現象の逆をも含めたものであると考えていただければ多少は納得していただけるのではないでしょうか?

また、私個人の経験に即して考えてみますと、良い意味、影響でのそれとは、私が九州在住時に生じていたのではないかと勝手ながら考えております・・。
そして、現在の私とは、そのことにより、これまでブログ記事の作成を継続することが出来、さらには生きている(生かされている)のではないかとも思っています・・。
あるいはまた、そうした現象をどうにか客体化するために、これまで一連のブログ記事作成を行っているのではないかともいえます・・(笑)。

また、こうした現象をマクロレベルにて考え、さらに歴史を遡上し適用してみると、我が国が倭国と呼ばれた時代、女王が統治する邪馬台国というクニが九州あるいは畿内の何れかに存在していたことが実感を以って理解、認識できるのではないかと思います・・。

そして、その意味において以前数回当ブログにて引用したローレンス・ヴァン・デル・ポストの「The seed and the sower」に記されている我が国の特徴、特性とは、かなり興味深いものであると考えます。

とはいえ、結句、こうしたことは迷信、単なる思い込みではないかと批判される方々も少なからずいらっしゃるのではないかと思います・・。

そして、そのような批判がなされた場合、私は
「いや、たしかにそうであるかもしれませんが、一方において、私と同様な経験を彼の地ですることになれば、私以上に敬虔にそうしたことを信じるようになるかもしれませんよ・・」
と返答するのではないかと思います・・(笑)。

しかしながら、この「憑りつかれる」といった内容も前述のとおり様々であり、それが生じた時の自身の心持、邪気の有無がかなり精確に反映され後になり自身に返ってくるのではないかと思います・・。

そして、そういったいわば単純且つ原始的な観念こそが様々な神話そして道徳的意味合いを持つ神話、さらには地域、国レベルの倫理、道徳観念の基礎あるいは枠組みへと変化、精製されてゆくのではないかとも考えております・・(笑)。

しかし、現在記しているこの記事とは実際問題として、幾分迷信的ともとられ、また自身の今後、保身においても何かしらおかしな影響をおよぼしかねないと考え、投稿することを多少躊躇しておりましたが、それでも昨日の広島での出来事がどういった経路によってか作用し、この記事を投稿することにしました・・(笑)。

さきの熊本での大地震によって被災された地域における諸インフラの早急な復旧、そしてその後に続く復興を祈念しております。

また、ここまで興味を持って読んでいただいた皆様、どうもありがとうございます。

皆様のおかげでここまで書き続けることが出来ております。
そして最後にゲーテ曰く「迷信的であることは詩作の妨げにはならない」とはいえ、私は詩人ではありません・・(笑)。」

jtsuruki.blogspot.jp