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岩波書店刊 クロード・ベルナール著 「実験医学序説」pp.112ー114より抜粋引用

「物理学者と生理学者は、一方は無機体内に起る現象を研究する者であり、他は生物内で行われる現象を研究する者として相互に区別されるが、その到達しようとする目的に至っては、なんら相異なるものではない。

実際また両者はいずれも共通の目的として、現在研究している現象の近接原因に遡ることを期しているのである。
さて我々がここである現象の近接原因と呼んでいるものは、その現象が存在したり、または発現したりするために必要な物質的条件にほかならない。
したがって実験的方法の目的、即ちあらゆる研究の窮極は生物に対しても無生物に対しても全く同一である。
結局ある現象とその近接原因との間の関係を見出すことである。換言すればこの現象の発現に必要な条件を決定することにある。
実際また実験家は、ある現象の存在条件を知るに至ったならば、いわばその現象の支配者になったわけである。
その経過、その発現を予言することはもとより、任意にこれを促進し、また停止させることができる。
実験家の目的はこれで達せられたと言わねばならない。
このようにして彼は科学の力によって、自分の力を自然現象の上にまで拡張したのであった。

そこで我々は生理学を「生物現象を研究し、その現象の発現に関する物質的条件を決定することを目的とする科学」と定義しよう。
我々が各種現象の生起する条件を決定することのできるのも、ただこの分析的方法、即ち実験的方法によるのみであって、この点に関しては生物も無生物もなんら異なるところはない。
何となれば、我々は実験するに当り、いかなる科学においても同様に推理を進めて行くからである。
実験生理学者にとっては、心霊論も唯物論もない。
このような言葉はすでに陳腐な一種の自然哲学に属するものであって、学問の進歩とともにやがて消滅するであろう。
我々は永遠に心霊も物質も知らないだろう。
もしも心霊や物質を認めるに至るならば、いずれの議論も結局は科学の否定に終わるということを証明することができる。
したがってこの種のいかなる考えも明らかに無益徒労である。我々にとっては現象を研究し、それが発現の物質的条件を知り、さらにその間の法則を決定するだけで十分なのである。

物の第一原因は科学の領域を超越した問題である。
このものは無機物の科学においてのみならず、生物の科学においてもまた、永遠に我々の捕捉するところとはならないであろう。
実験的方法は、生命原理の研究などという空中楼閣のものからは必然的に踵を返すのである。

無機力などというものが存在しないと同様に、有機力などというものも存在しないか、或いはまた諸君が欲するならば、いずれも同様に存在すると言って差支えなかろう。
我々が使用している力という文字は、単に言葉の便利のために用いている抽象名詞にすぎない。

力学者にとっては、力は運動をその原因に結びつけた関係である。
物理学者、化学者、生理学者にとってもこれは根本において同様である。物の本質は永遠に我々に知られない。我々は単にこれらの事物の関係を知ることができるのみである。」


安部公房 ・渡邊格 対談完全版

実験医学序説 (岩波文庫 青 916-1)

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