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鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しております。

ブログ継続のために 文体の変化、オッカムの剃刀など

A「Bさん御自身の対話形式のブログも続いているようですが、その内容に関して何か思うことはあるのですか?」

B「・・正直あまり内容に関しての自信はあまりありません。
また、内容的に重複しているもの、あるいは記事内容が稚拙と思われるものもあると思います・・。
しかしながら、とりあえず現在はこれを書き続けることが大事であると思うのです・・。
というは私のブログでも一日概ね100人程度、そして海外から読んでくださっている方々もおられるようですので、たとえ現時点であまり自信がなくとも、とにかく書き続けた方が良いと考えるのです。
これは特に深刻な思いでもありませんが、同時にこのブログでも様々な意味において低迷、衰退しつつある現今我が国社会の状況を映す何かがあるのではないかとも考えています・・。
そして、それらを国内外からの閲覧者が読み、何かを感じ、考えていただけたら、それはそれで意味があるのではないかと思います。
そうした意味において、これまでに投稿した様々な書籍からの抜粋引用なども同様あるいはそれ以上に意味があるのではないかと考えます・・。」

A「・・なるほど、そうしますとBさんはブログの記事を書くことによって何といいますか、歴史に参加している感じを得ることが出来ているといったところでしょうか?
それはともかく、私個人はBさんのブログを楽しんで読ませていただいていますから、あまり肩肘を張らずに内容の重複、稚拙さへの心配などをしないで書き続ければいいのではないでしょうかね・・?」

B「はあ、そんなものでしょうかね・・。
私としてはあまり肩肘を張っているつもりはないのですが、それでもAさんをはじめ、私のブログを読んで頂いている方々には何かしらの新知見、視点あるいは考えるヒントなどを得ていただけたら、こちらも書いた意味を見出すことができますし、そして何より新しい記事を作成するエネルギーにもなりますからね・・(笑)。」

A「なるほど、力まずにしかも良いブログを作成するというのはなかなか難しいことのようですね・・そして、その難しいという意味は、読者の存在を意識しながらもあえて良い記事を作成しようと試みないで、それでいて何かしら意味がある記事を作成するというようなことなのでしょうか・・?」

B「ええ、いってみればそのような感じであるかもしれません。
そしてそれは、何だか中島敦の「名人伝」を想起させますね(笑)。
しかし、ああいった精神論的なものはかつて体育会に所属していた頃は何となく理解していたつもりではありましたが、現在ではどうもよくわからなくなってしまいましたね・・(苦笑)。
ただ、わからなくなったからといっても、そういった身体の記憶とは、何かしらあると思いますので、それは言い換えると意識したことを無意識化したともいえますので決して無駄であったとは思いませんが・・。」

A「そして現在はブログ記事の作成を行っているということですか・・。
しかし、それはそうと、かつてBさんは現在のように文章を書くことが出来ていたのですか?
あるいはまた現在のようにある程度の期間書き続けることが出来ていましたか?」

B「・・そうですね、多分現在のようにコンスタントに何らかの文章を書いていた時期はこれまでになかったと思います・・。
そしてこれは、やはりブログをはじめて、そしてある程度読んでくれている方々がいらっしゃったことにより、はじめて可能であったのではないかと思います・・。
その意味において、このブログが昨年六月から半年以上継続出来たことは私だけの力によるものではないと考えております。
また、以前ブログにも記しましたが、様々な良い意味での刺激を与えてくださる反応があることにより、記事作成の意欲を継続して持ち続けることが出来たのではないかと思います。」

A「なるほど・・200記事にはもう少しありますけれども、その調子で書き続けてください。
そして200記事まで到達しましたら、次はどうしますか?」

B「そういったこともあまり考えていませんし「先のことをいうと鬼が笑う」などともいいますので、とりあえず200記事到達まで書き続けてみます(笑)。
その先はその先で、また自身の文章が向上するか、あるいは多少こういったことに自信がつくのではないでしょうか?
ともあれ、この半年くらい継続的に文章を書き続けたことはこれまでにありませんでしたので、もう既にブログ作成をはじめた頃よりかは幾分か成長しているのではないかと思いますが、どうでしょうか・・?
そしてまたある程度の数の記事を作成しましたら、ブログをはじめた当初の頃の記事と比べてみようと思います・・。
そして、もしかしたら、そこから何かしらの発見があるかもしれません(笑)。」

A「それはなかなか面白そうですね・・(笑)。
それでもBさんは今後また論文のような硬質な文体で文章を書いてみたいと考えているのですか?」

B「・・論文のような硬質な文体は大抵どの分野においてもオッカムの剃刀の洗礼を受けなければなりませんので、あれは何度もやっていると、その要点の把握は出来るようになるのですが、同時に今現在の段階においては文章を書く楽しみのようなものが減衰してしまうのではないかと思うのです。
ブログをはじめた当初は、そうした考えに凝り固まっていたようで、そのためか文章を書くことを大変苦痛に感じていました・・(苦笑)。
そして、その苦痛が徐々に解きほぐれていったのは、現在のような口語体、対話形式に変えてからであるので、この間には私の思考が文語体から口語体への、あるいは文字言語から音声言語への変化が生じたのではないかと思います。
また、これはあたりまえの話なのですが、人間とは言語習得にあたり、はじめに口語体、音声言語を体得しますので、その意味において原始的なスタイルに戻ることにより文章作成の息を吹きかえすことができたのではないかと思います。
また、そうした原始的、未知の領域との間の揺れを通じて様々な能力とは進化してゆくのではないかと思います。
そしてこのことは案外重要であり、人間のある時期、年齢における教育の仕方などにおいても同様のことがいえるのではないかと思います。」

A「なるほど、それは面白い意見ですね、様々な領域への揺れを通じて人間の能力、感性は伸び、洗練されてゆくというのは、なんとなくわかります。
その意味において特に我々戦後の日本人とは、教育においては、どちらかというとそうした何というか動的、ダイナミックな要素よりも静的、スタティックな状況を好んでいたように思いますね・・。」

B「ええ、そうした静的、スタティックな環境、状況とは、どうしても熱というかエネルギーひいては創造性が発生しにくいのではないかと思います(笑)。」

jtsuruki.blogspot.jp