鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しています。

文章を記す際の心情について・・

A「おかげさまで本日(20160806)も閲覧者数が1000に到達しました。

おかげさまです。また、どうもありがとうございます。

さてまた、本日は所用のため都心部に出ておりましたが、陽光も強く、またアスファルトからの照り返しもなかなかのものであり、本格的に夏になっていることが実感されました・・。

そのような中、本日またブログ記事を更新しますと、これで380記事となり、とりあえず目標としている400記事まで残り20記事程となります。

そして。それはこのまま順調に進めば、今月中に到達するのではないかと思われますが、また今後何かしら心境の変化、周囲の環境の変化なども生じない保証はありませんので、とりあえず毎日毎日何かしら記し続けようと考えております・・。

また、同時に「継続は力なり」とは世間一般に流布されているコトバではありますが、現在の私の偽らざる心境としましてはイマイチその実感がなく、あるいは「この程度ではまだ継続といえる程の継続ではないのかもしれない・・。」と不図考えてしまいます・・。

また、そのように考えていた方が、この程度で変に気が大きくなるよりかは、幾分マシであると思われるため、まあ、あまり大きな心情の波を生ずるよりも、400記事という目先にある目標に到達する上においては、その航海は平穏に進むのではないかと思われます・・(笑)。

そしてまた、そのように考えてみますと、こうした平穏のうちにブログ記事をはじめ何かしら記そうとする心情とは、かつては如上のように文章化され比較的明確に意識されるものではなく、どちらかというと「何かしらゴチャゴチャと行っているうちに記す文章の着想、閃きが訪れるのではないか?」といった心情に基づき色々と必要な文章を記していた記憶があります。

とはいえ、そうであるからといって、現在においては、後者のような心情が全く駆逐、排除されたというわけでもなく、各々の状況において最適と思われる方法そしてその背景の心情を惹起させるのが適当であるのではないかと考えております(もし、それが意識的に出来るのではあれば)。

また、それに加え、さきにのべた文章を記す際の二つの心情とは、前者を計画性に基づく定住型農耕社会的なもの、後者を比較的多くの移動を伴う狩猟採集社会的なものと分類することが出来るのではないかと不図思いつきました・・(笑)。

あるいはこれをさらに一般的な日本史上の歴史区分による分類で当て嵌めてみますと、前者が弥生的、後者が縄文的とも称することが出来るのかもしれません・・。

さらにまた、これを戦闘における戦い方、用兵として考えてみますと、前者が槍、鉄砲といった遠距離まで威力が到達する武器を持つ歩兵による密集陣形による戦い、後者が鎧武者、騎士といった機動性、自由度が共に高い個人の一騎打ちを集団化したような戦いといった感じにとらえることもまた出来るのかもしれません・・。

このような戦闘、用兵の仕方にたとえて記しておりますと、今度は不図その昔に読んだ記憶がある石原莞爾著の「戦争史大観」の中にそのようなことが記されていた記憶があります・・。

そして、おそらく同著の中にこうした戦闘、用兵の歴史的な発展が円錐をらせん状に上昇しながら為されている様子として描いた図がありましたが、もしかすると、この図が無意識ながら以前記した「20160804 登山(開聞岳)とブログ作成・・具象から抽象へ・・」の主題の基となったのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

jtsuruki.blogspot.jp