鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しています。

文体の進化とは・・

A「本日はどうしたわけか体調がすぐれず、また頭も重かったのですが、これまたどうしたわけか、知人二人から連絡がありました・・。

こうした時折やってくる連絡は大変嬉しいもので、おかげさまで本日は体調があまりすぐれない中ではありますが、ブログ記事を作成することに決めました・・。

しかし、この二人が示し合わせて前後して私に連絡をしたわけではないと思われますので、むしろ、こうした現象の方が何やら不思議な感じを受けなくもないです・・(笑)。

こうした現象には何か原因、背景があるのでしょうか・・?

とはいえ、この二人が私が現在記しているブログ記事を読んで頂いているかどうかは不明ではありますが、昨春、このうちの一人からブログ作成を勧められたことを不図、思い出しました・・。

ブログ作成開始当初の頃は書籍からの抜粋が多く、また自身の文章にしても、その文体は硬く、頑なであり、また同時に脆いものであったと記憶しております・・。

そのように考えてみますと、文体においても材料などの物性のように脆性、剛性、弾性、靭性、展延性などといった表現が出来るのかもしれません・・(笑)。

そうしますと、現在記しているブログ記事の文体とは一体どのような物性としての表現が適当なのでしょうか(笑)?

しかし、そもそもそれ以前に現在の私には、ある確立された文体といったものは存在するのでしょうか?

・・とはいうものの、それと同時にかつてのブログ記事作成当初の記事と現在のそれを比較してみますと、私見として、主題の深さにおいては、かつての記事の方が相対的に深いものが多いのではないかと思われる一方、その述べたいところを記すという意味においては、最近作成された記事の文体の方が優れているのではないかと思われます・・。

あるいは、これは記事の主題が深くなくなったために生じたことなのでしょうか・・(苦笑)?

何れにせよ、抽象度が高く、分かり難くなってしまう文体と、具象的であり簡明な文体とは、とりあえず文章を記し続けることにより徐々に融和、同化してゆくものであり、またそれが文体の確立であったり、あるいは洗練といったものではないかと多少手前味噌ともいえる考えが浮かびましたが如何でしょうか(笑)?

とはいえ、これまでブログ記事を継続して作成して実感することは、何かしら書き続けることにより、以前に比べ文章として著し難かった事柄を著すことが出来るようになったことです。

そして、この所謂表現力の進化に内容、主題の深さ、充実が付随していれば良いのですが、これがさきに記したように難しいところであると思われます・・(苦笑)。

あるいはこうしたこともまた「三歩進んで二歩下がる」といった感じなのでしょうか・・(笑)?

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。
そして、さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧と、その後の復興を祈念しております。」

jtsuruki.blogspot.jp