鶴木次郎のブログ はてなブログver

主にBlogger での同名ブログのコピペにて作成しています。

スランプとパンチの効いた警世的なるもの・・・

A「先日よりどうもブログ記事の良い着想が思い浮かびません・・。

これは現在、季節の変わり目であるからか、あるいは先日赴いた公募の面接がダメであり、それにより何となく萎縮してしまったからであるか、あるいはまた、その他にも何か要因があるのかもしれませんが、ともかく、どうも良いブログ記事の着想がパッと思い浮かびません・・(苦笑)。

そして現在はそうした思いを文章として記せば、それはそれで、とりあえずは記事になるのではないかと考え、これを記している次第です・・。

そういえば、本日は仕事上にて伺ったある歯科医院にて、古くか続いている某歯科大学の付属歯科衛生士専門学校が、このたび短期大学として認可されたということをお聞きしました。

そして、さきほど、このことをインターネットにて調べてみたところ、それは既に公式なことであると記されていたため、ブログ記事の題材として記している次第です。

また、そういえば、先日記したブログ記事において、歯科衛生士の教育に関して記したものがありましたため、これもまた何となく面白く感じました・・(笑)。

あるいは本日伺った歯科医院の先生は、このかつて投稿した記事を読んで頂いていたのかもしれません・・(笑)。

しかし、そのように考えてみますと、こうしたことは私が思う以上に多くあるのかもしれません・・。

そして、単に私がそうしたことを認識していないだけであるのかもしれません・・(苦笑)。

しかしながら、ブログ記事を記し、その一方で日常生活にて、そうしたことを気にし出しますと、ますます自意識過剰となり、そして、さらにその後反転し、萎縮してしまい、自由にブログ記事を記すことが困難になってしまうのではないかという危惧が生じてきます・・(笑)。

また、それがなくとも、さきに記したように今現在どうもブログ記事作成においてスランプに近い状態であると思われますので、こうしたことは出来る限り考えない方が良いのかもしれません・・(笑)。

そして、そのようなことを認識してみますと、案外こうした公開を前提とする継続的なブログ記事の作成とは、高所における綱渡りに近いようなところがあるのかもしれません・・(苦笑)。
フリードリヒ・ニーチェ著「ツァラトゥストラかく語りき」冒頭近く・・)

渡る場所を単に横幅が狭い場所での移動(前進)であると考えれば、特に恐怖も湧かないのかもしれませんが、それが高所であると認識することにより恐怖が湧いてくるといったような感じではないでしょうか・・(笑)?

そして、もし少なからずこうした(感情的な)要素がこれまでのブログ記事作成において良い方に作用してきたのであれば、少なくとも今現在までは、ブログ記事を書き続けるといった意味においては、どうにか上手くやってこれたのではないかと思われます・・(笑)。

そして、願わくは、今後しばらく(500記事程度迄)は、そうした状態(特に大きな反応がない)が続いてくれた方がありがたいと思います・・。

とはいえ、感情的な非難、批判、言いがかりとは、どのようなことをきっかけとしてでも、行うことは出来ると思われ、また、それに加え、おそらく私はそうしたことに対し強い耐性があるというわけではありませんので、繰り返すようではありますが、これまで通り、どちらかというと静かに見守って頂けた方がありがたいです。

これを読まれている皆様、どうぞよろしくお願いいたします・・。

さて、そうしたことを置いておいて、先日来より読んでおりました山田風太郎著「戦中派虫けら日記」を読了しました。

この著作は読了に至るまで大変短い期間であり、おそらく一週間程度であったのではないかと思われます・・。

また、この著作からも大変面白いと思われる記述が少なからずありましたので、今後、折を見て、それら記述を当ブログにて抜粋引用してみようと考えております・・。

そして、私見とはなりますが、ここ最近少なからず警世的な意味合い、あるいはそうした目的、意図を持った著作が刊行されているようですが、それらの著作と比べ、古書店にて(安価で程度の良いものが)購入することが出来る、山田風太郎著のこの時代(戦中戦後期)を扱った著作、あるいは、大岡昇平著の「俘虜記」、野上彌生子著「迷路」、大西巨人著「神聖喜劇」、そして山本七平著「私のなかの日本軍」などの方が、案外と普遍性のある、そしてパンチの効いた「警世的」なるものを明示してくれるのではないかと思われますが、さて如何でしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

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気候風土と地域文化について・・

A「本日も若干帰宅がおそくなり、今現在、日をまたぐ少し前にブログ記事の作成をはじめました。

ここ最近は気温も徐々に上がってきておりますが、本日は雨模様の天気にて気温はあまり上がりませんでした。

また、この時期になりますと、何故だか九州でのことを思い出します・・。
あちらの気温は北部の福岡などの場合、首都圏とあまり変わらないことも多いのですが、それだけではない、何か地域的な風土もまた、その体感的な過ごし易さに影響を与えているのではないかと思われます・・・。

また、それは南の鹿児島においても同様ではあるのですが、鹿児島までいきますと、明らかに平均的な気温も首都圏などより高かったと記憶しております。

そして、こうした各々平均気温などに地域固有の気候風土などが加味されますと、おそらく、そこで生息することが可能な細菌の種類などにも影響を与えるのではないかと思います。

それ故、科学的なバイオ技術が進化発展する以前の時代においては、そうした地域性、風土とは、醸造、蒸留技術などに対しても強い影響力を持っていたのではないかと思われます。

そして、そうしたことから特に南九州地域において有名な「焼酎」も生み出されたのではないでしょうか?

また、先日来から当ブログ記事にて幾度か取り上げている野上彌生子著の「迷路」の設定においても主人公の実家家業が醸造業となっており、度々作中にて取り上げられるその描写には、なかなか興味深いものがあります・・。

また、この野上彌生子の例も含め、我が国においては醸造業を営んでいる家の多くが文化人、芸術家そしてまた地域文化における指導者、政治家などを生み出してきているということは、なかなか興味深いことではないかと思われますが如何でしょうか?

しかしまた、こうした現象?を唯物論的あるいは構造主義的に考えてみますと、それはそれでなかなかキレイに論理的な説明が為されないこともないのですが、その一方において「では、果たして全てが全て、そうした論理にて片付けることが出来るのであろうか?」とも考えさせられるのです・・。

こうしたことを一例として考えてみますと、ナマの現象を論理にて切り分けてゆく難しさが示されるのではないかと思います・・(笑)。

そしてまたさらに、さきに示した現象と特に近代以降の我が国において盛んに研究が為されている細菌、微生物、バイオ系の学問との間には何かしら関係性、親和性があるのではないかとも考えさせられるのです・・。

現在、我が国(特に都市部)において殺菌、滅菌といったことが盛んに取り上げられているようですが、こうした傾向が行き過ぎると、もしかすると、古来よりの我が国の風土、特性といったものをも損なう可能性もまたあるのではないかと考えさせられます・・。

しかしながら、一方において、殺菌、滅菌などを含めた公衆衛生観念の向上が様々な病気による死亡率あるいは乳幼児、高齢者の死亡率をも低下させたともいえるのですが・・。

それ故、こうした問題とは、なかなか白黒つけることが難しいものであるのかもしれません・・。

また、ハナシは変わりますが、先日来よりのブログ記事の閲覧状況を見てみますと、そこからまたよく読んでくださっている方(方々)がいらっしゃるのではないかと考えさせられます・・。

何れにしましても興味を持って読んでくださっている方々のお蔭でここまで書き続けることができております。
ここまで興味を持って読んでくださってどうもありがとうございます。

また、去る九州・熊本での大地震によって被災を受けられた地域における諸インフラの復旧、そしてその後の復興を祈念しております。」

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300記事到達・・

A「今回作成投稿する記事が丁度300記事ということになります。
ブログ記事の作成を始めたのが昨年6月であるため、概ね1年程度で300記事に到達したということになります。

そうしますと、大体5日のうち4日程度の割合にて記事を作成投稿してきたことになります。

また、上記程度の割合にて文章を作成してきたことは、これまでの私の人生においてありませんでした。

その意味において今回300回目のブログ記事を更新できることはなかなか嬉しく思います。

しかし傍から見ますと「随分地味なコトで嬉しく思うものだ。」と感じる方々もおられるのではないかと思われます・・(苦笑)。

とはいえ、私はこれまでにある程度、自身が従事した専門分野における書籍を読んできたものと考えております。

また、それ以上にそれら専門分野とは直接的には関連のない様々な分野の書籍をも読んできたものと考えております。

そして、それらは自身にとってインプットといっていいものであると認識しております。

このインプットとは咀嚼・消化し更に表出(アウトプット)することにより強く自身のものとして定着するのではないかと最近思います。

そして、それらのインプットの組み合わせ、そして表出(アウトプット)の傾向などがヒト一人の様々な意味での精神的傾向、性格などを特徴付ける大きな要因となるのではないでしょうか?

また「教養」といったものも、そうした過程により徐々に獲得されてゆくのではないかと思われますが如何でしょうか?

一般的に書籍などを読まなくとも生きていく上においては大きな支障はなく、むしろ、そういったものは生きてゆく上においては何も意味がないだけでなく、むしろ邪魔なものであるといった考えも、表には出しませんが、根強く社会全般において共有されているのではないかと思いますが如何でしょうか?

それ故、最近「反知性的」というコトバをよく聞きますが、こうした考えは今現在「だけ」特にそうした傾向が認められるものではなく、昔から遍く存在しており、むしろ、それがあまりにも一般的であるために、これまでに「反知性的」というコトバが社会批判的な文脈にて用いられてこなかったのではないかと思われます・・。

そしてそれはまた、我が国における極めて強い現世的、此岸的な傾向とも強い関連性があるのではないかと考えさせられますが如何でしょうか?
また、こうした傾向とは、おそらく我が国について実地に研究し、生活をした経験を持つ者であるならば、概ね認識しているのではないかとも最近よく考えさせられます(具体例としてSTAP細胞、現象の事件の発生、経緯、顛末に至るまで・・)がこれを読んで頂いている皆様はどのようにお考えになるでしょうか?

さらに加えて、こうしたことは19世紀的あるいはそれ以前の過去の概念として認識されがちな「アジア的停滞」とも何かしら関連があるのではないかと考えさせられます・・。」

ここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。また、先月の九州、熊本における大地震にて被災された地域のより早期の復旧そして復興を祈念いたします。

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投稿記事397記事 ロールモデルの変遷 万世橋の銅像

A「本日のブログ記事の投稿により、記事投稿総数が397となり、とりあえずの目標とする400記事まであともう一息といった状況になります。

そして実際にそうなってみないと分かりませんが400記事に到達しますと自身の内面において何かしら変化が生じるのでしょうか・・?
あるいは自身の外においてもまた、何かしら面白いことが生じるのでしょうか?
あるいはまた、双方共に生じるのでしょうか・・?

しかし、たとえ何かしらそうしたことが生じたとしても、それは自身にとって必ずしも良いとは言い切れないのかもしれません(長い目で見た場合をも含めて)・・。
それ故、今後、上に記したようなことはあまり念頭に置かず、ただ出来るだけ無心になり、もうしばらく記事作成を継続しようと思います・・。
とはいえ、ブログ記事作成におけるある程度大きな区切りに近づきますと、やはり多少なりとも、上のようなことを考えてしまうのが自然なのではないでしょうか・・・(苦笑)?(果たして本当か?)

また、不思議なことに、そうしたことを考えはじめますと、そちらの方に想念が奪われる、集中するためか、肝心のブログ記事の着想が思うように浮かんできません・・(苦笑)。

そして、現在記しているこの文章とは、一通りそうした想念に捉われた後「本日分のブログ記事は書籍からの抜粋にしようか・・。」とあきらめ半分に考え始めた頃「いや、それであれば、そうした現在の想念そのものをブログ記事として記せば良いのではないか?」と考えを改め、如上のような次第となっております(笑)。

とはいえ、ここまで記しますと、今度はそこから先の文章が思い浮かばず、一端キーボードから手を離し、ひとしきり何かしらの着想が浮かぶまでボーッとすることになります・・(苦笑)。

また、ここでジタバタして「何かしらの着想が浮かぶのではないか?」と考え、傍らにある書籍などに手を伸ばすことは往々にしてあまり良い策ではなく、逆にその書籍に飲まれてしまい、着想どころではなくなることが私の場合少なからずあるようです・・(苦笑)。

そして、このように文章の着想が浮かぶまでの経過を着想として扱い、それを記していますと、果たして如何なる着想が浮かぶのであろうかと考え、そのままを記しておりますと不図思い起こしたのは、昨日投稿したブログ記事への反応であり、これはまた私にとって新鮮なものであり、下に示す考えがそこから得られました・・。

昨日投稿したブログ記事最終部近くにて「我が国における(一つのそして代表的な)男性像のロールモデル、理想像とは近代の西郷隆盛で終息、終焉したのではないか?」といった意味のことを記しました。

しかし、もしかすると、それは太平洋戦争の敗戦(以降しばらく)まで万世橋に立っていた銅像のモデルもまたそうであったのかもしれません・・。

とはいえ、この戦後に撤去された銅像の周辺、つまり東京都千代田区には、他にも戦前からの銅像が比較的多く存在し、本日も大山巌品川弥二郎銅像の横を通りました・・。

では、なぜこの万世橋銅像とは撤去されなければならなかったのでしょうか・・?

これには諸説あり、現在なおその確たる背景、真相とは見出されていないようです・・。

あるいはまたその背景、真相とは見出されると面倒な何かがあるのでしょうか・・?

とはいえ、おそらくそこには近代日本史あるいは我が国国民性の暗部といったものが少なからず隠されているのではないかと思われますが如何でしょう・・?

今回もここまで読んで頂きどうもありがとうございました。
さる四月に熊本にて発生した大地震により被災された地域の諸インフラの早急な復旧そしてその後の地域、県全体の復興を祈念しております。」

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自己について・・

A「本日は日中気温が上昇し、多少暑くも感じました・・。

さて、先日電話口にて久しぶりに文系院時代の知人と話す機会を得ましたが、どうにか文系学問特有の世界、会話について行けたのではないかと思います・・。

しかし同時に、以前に比べ、色々と忘れている部分もあり、自身としては口惜しい部分もまた(少なからず)ありました・・・(苦笑)。

そして本日は、何人かの歯科医師の先生と話す機会を得ましたが、ここでもいくつかの歯科分野の会話にどうにかついて行けたのではないかと思います・・。

また、ここにおいてもさきと同様、少なからず忘れている部分があり、自身の勉強不足、記憶力の悪さが悔やまれました・・。

しかしながら、自身のことを誇るのわけではありませんが、こうしたいくつかの学問分野での(ある程度専門的な)会話について行ける私とは、一体何者であるのかと時折考えてしまいます・・(苦笑)。

ともあれ何れにせよ、その根本、基層には、いくつかの結節点を持つ文系学問の多少オカシイ(極めて個人的な)体系らしきものが存在するのではないかと思われます・・。

そして、このオカシイ学問体系とは、主に和歌山、東京そして鹿児島にて形成されました・・。

また、これは一応学位の分野としては「歯学」となっておりますが、取得後の経緯などを踏まえますと、私個人の意見として時折「こうなってしまった以上、分野などは別に何でもいいのではないだろうか?」と考えてしまうことがあります・・(苦笑)。

果たしてこうした意見とは(私の場合)傲慢不遜なものなのでしょうか・・?

しかし、それはともかくとして、現在ここまでブログ記事を継続して作成することが出来ている背景とは、さきに述べた三つの地域にて形成された学問体系らしきものに因ることは、たしかであると思われます・・。

あるいは異言すると、それら何れかの経験が欠けていても、それは出来なかった、出来ないと表することが出来ます。

そしてもちろん、投稿した一連の記事を読んで頂いた方々がいらっしゃったからという大前提が存在しますが・・。

とはいえ、こうしたブログ記事の作成に対して「のみ」それらの経験が生かされると考えるのもいささか悲しいものであり、そのため今後も自身の望む大学職種(主にコーディネーター、研究支援専門職員など)に応募するつもりです。

・・色々と考えてみましたが、どうやら私とは教育の過程によりそうなったのではなく、どちらかというと生まれつき(生来)に近い部分より多少オカシイところがあり、そのために様々な必ずしも必要でない面倒に遭遇することになりましたが、また、それと同じ理由により、さきに述べたようなオカシイ体系を持った私となり、また、それをどうにか認めてくれる方々にも出会うことができたのではないかと考えております・・。

そのように考えてみますと、他の運はさておき、二十一歳以降の人間運に関しては、私は相対的に見てもかなり恵まれている方ではないかと思うのです・・。
さて、如何なものでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いた皆様、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本を中心として発生した大地震によって被災された地域の諸インフラの速やかな復旧、そしてその後の復興、またそれに加え、昨晩に鹿児島県奄美地方において発生した地震による被害が出来るだけ軽微であることを祈念します。」

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主に書籍からの抜粋 立国の根本とは・・

A「本日2016年8月15日分のブログ記事とはインターネット接続が出来ない環境にて作成しております。

こうしたインターネット接続が叶わない環境にてブログ記事作成を行うのは、かなり久々であり、仕方なく白紙のワード文書にて作成しはじめました。

とはいえ、このような若干の環境の変化により記事が思い浮かばなくなるということもなく、如上のように何かしら記しはじめた次第です。

さて、本日は終戦(敗戦)記念日であり、また同時に我が国の暦上においてはお盆(祖霊を祀る行事)ということもあってか、本日の通勤電車は普段に比べ幾分か空いておりました。


また特に本日8月15日は終戦(敗戦)記念日ということからではありませんが、久々に丸山眞男著・筑摩書房刊の「忠誠と反逆」を取り出し読んでみました。


そして、この著作表題となっている「忠誠と反逆」




ISBN-10: 4480083987
ISBN-13: 978-4480083982

(pp.7-136)とは、現代の我々が読んでみてもたいへん興味深い内容であり、就中その中の福沢諭吉の思想について触れた部分とは、我々日本人の近現代史(あるいはそれ以前をも)を考える上で大変興味深い記述が散見されるのではないかと思われます。


では、その一節を下に示します。

PP.55-58

「天下の大勢」という客観的な法則はあくまで法則であり、「勝てば官軍」という事実はあくまでも事実である。
しかしこの法則なり事実が自我の次元において忠誠転移の根拠になり口実となることに福沢は我慢がならなかった。

いわゆる絶対的な名分論がもし純粋に自我に内面化されたものならば、それは「盲目」であり「愚鈍」ではあっても、こうした滔々とした転向は生まないはずである。

とすれば「今の所謂大義名分なるものは、唯黙して政府の命に従ふに在るのみ。」したがって万一、西郷の企てが成功したならば、おそらく現在西郷に逆賊のレッテルをはっている役人どもも「寝返りの易くして神速なるべきは智者を俟たずして明」らかであり、「其、新聞記者の如きは展転反側の最も自在にして最も妙を得たる者なるが故に、忽ち筆を倒にして後へを攻め、以て正三位陸軍大将西郷隆盛公の盛挙を賛成」するだろう。

「実は人民の気力の一点に就て論ずれば、第二の西郷を生ずるこそ国の為に祝すことなれども、其これを生ぜざるを如何せん。余輩は却て之を悲しむのみ」。

この立地点が、後年、勝海舟榎本武揚の行動を「三河武士の精神に背くのみならず、我日本国民に固有する痩我慢の大主義を破り、以って立国の根本たる士気を弛めた」ものとして痛烈に論破した「痩我慢の説」にまっすぐ連なっていることはもはや喋々を要しない。

福沢における「痩我慢」の精神と「文明」の精神と、「士魂」と「功利主義」との矛盾あるいは二元性ということがしばしば指摘される。

抽象的に二つの「イズム」をとりあげるならば、たしかにそうもいえるだろう。

しかし思想史の逆説と興味は、まさにそうした抽象的に相容れない「イズム」が、具体的状況のなげかけた「問題性」に対する応答としては結合するというところにある。

あたかも幕末動乱に面して武士における家産官僚的要素と戦闘者的要素とが分裂したことに照応して、忠誠対象の混乱は、「封建的忠誠」という複合体の矛盾を一挙に爆発させた。家産官僚的精神によって秩序への恭順のなかに吸収された君臣の「大義」は一たまりもなくその醜い正体をあらわした。

しかもいまやその同じ「秩序への恭順」が皮肉にも「上から」もしくは「外から」の文明開化を支える精神として生き続けているではないか。
矛盾したものの結合は実は福沢の批判する当の対象のなかにあるものであり、「近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如し」という状況判断に立った福沢は、右のような形の「封建性」と「近代性」の結合を逆転することで―すなわち、家産官僚的大義名分論から疎外され現実の主従関係から遊離した廉恥節義や三河(戦国!)武士の魂を、私的次元における行動のエネルギーとして、客観的には文明の精神(対内的自由と対外的独立)を推進させようとしたのである。


「丁丑公論」における「抵抗の精神」の力説と、「学問のすすめ」や「文明論之概略」における「人民独立の気象」の要請とは、こうして福沢の立場においては密接につながっていた。

たしかに福沢は「封建的忠誠」の分解をラディカルに推しすすめたが、その作業は、単純に「封建的」に代わって「近代的」なものをすげかえるのではなくて、現実に進行していた解体を利用して、その構成契機の役割を転換させることにあった、封建的忠誠における外面化の傾向をしてむしろ徹底させ、これをパブリックなものに高めよ。そのことによって私的=心情的契機はかえって個人の内面に定着するだろう―これが維新後の「集団転向」の現実を前にした福沢の苦肉の処方箋であった。
葉隠」の非合理的な忠誠が逆説的に強烈な自我の能動性をはらんでいたのとちょうど裏腹の関係で、福沢はむしろ非合理的な「士魂」のエネルギーに合理的価値の実現を託した。

「本来忠節も存ぜざる者は終に逆意これなく候」というのが「葉隠」のダイナミズムであったとするならば、逆に、謀叛もできないような「無気無力」なる人民に本当のネーションへの忠誠を期待できるだろうかというのが、幕末以来十余年のあわただしい人心の推移を見た福沢の心底に渦まく「問題」だったのである。」



さて、上掲の著作が著されて(1960)から半世紀以上経過しております。

そして、意外ではあるかもしれませんが、ここに述べられていることは現在の我が国諸々を考える上においても示唆するものが多いのではないでしょうか・・?

今回もここまで興味を持って読んで頂いてどうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震によって被災された地域における諸インフラの出来るだけ早期の復旧そしてその後の復興を祈念しております。」

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文章、文体、認識の枠組みについて・・

A「先日より読んでおります北杜夫著「楡家の人びと」は第二部の200頁まで至りました。

こうした長編小説とは、ある程度期間のインターバルを設けて読むと、読書の進行が多少早くなるものであるのかもしれません・・(笑)。

また、この著作は自身の感想としては大変面白く、おそらくこの土・日曜日の間に第二部もまた読了に至るのではないかと思われます・・。

そしてその後さらに第三部(最終部)読了に至ったならば、今度は同著の英訳版を購入し読んでみようと考えております・・。

英訳された日本の小説とは、著作によっては(私にとって)大変高価なものもありますが、幸いなことに、この著作については比較的手頃な価格にて求めることが可能であるようです。

また、以前投稿したブログ記事においても記しましたが、この著作は、現代の若い方々が読まれると何か面白い、不思議な感覚、認識を得ることが出来るのではないかとも思います。

いや、こうしたことはむしろ一般的であり、あるいは論理一辺倒の科学的な論文などにおいても同様であるのかもしれませんが、我々とは、何かしらの著作、文章を読むことにより、肯定的、否定的であれ、そこから様々な感覚、認識を惹起します。

そして、その(感覚、認識の)蓄積、そしてそれらの精神内部における経時的な反応、化合等に加え、実際の経験を積むことにより、より大きな観念、思想といったものの核が徐徐に形成され、それが様々な形で文字、言語を以て表出されることにより、明瞭化、体系化された観念、思想と称するに堪えうるものとして顕現に至るのではないかと思われます・・。

そして、こうした営みとは無意識である場合も多いのではないかと思われますが、何れにせよ殆どの方々が日常的に行っていることであると考えます。

ただ、そこで特に重要であると思われることは、実際の経験とは、各人各様に日常生活を送る上にて得ているのでしょうが、それ(経験)を認識するための、あるいは認識の枠組み(言語化、評価)を形成するための基盤、母材(マトリックス)として、何かしらの文章そしてその文体の果たす役割の大きさということです。

そして、これが各人各様である経験をある一定の方向へ収斂するものであると同時に、その個性、特徴を発揮する基盤でもあるということは、なかなか面白いことであると思われます・・。

その意味において広告、出版業界とは、依然として、ある程度大きな影響力を我々の社会に対し有しているのではないかと思われます・・。

しかしその一方、さきのブログにおいても記した通り、昨今、インターネットの普及により、膨大な情報が容易に広く入手可能となり、これまでのマスメディア、新聞、出版業界が関与、把持してきた認識の枠組みの重要性が希釈されつつあるということもまた事実であると思われます。

とはいえ、この認識の枠組みの重要性とは本質的(人間に付随する能力としての価値)には、希釈される性質のものではないと考えます・・。

それ故、訪れつつある新しい時代においては、おそらく我々と文章そしてその文体(認識の枠組)の間にもまた、何かしら大きな変化が生じる、いや生じつつあるのではないかとも思われるのです・・。

それが如何なるものであるかは分かりませんが、あるいはこうしたこともまた、歴史の進行およびその方向性に対し、大きく関与しているのではないかと考えます。

また、それが古来より云われている「言霊」に関連するものであるのかもしれません・・。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。

さる四月に熊本にて発生した大地震、昨今山陰東部にて発生した大地震により被災された地域の今後出来るだけ早期の諸インフラの復旧およびその後の復興を祈念しております。」

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「研究の進化・深化・未来そして「語るに落ちる」・・

A「本日の首都圏は夕刻より雨が降っております。
また、現在は小降りにはなってきておりますが、このまま明日早朝までは降るとのことです・・。

さて、昨日投稿の記事により総投稿記事数が485に達しました・・。

そして500記事到達まで残り今回の投稿記事含め15記事ということになりますが、ここに至ってまた、不図考えたことは以下の通りです。

「たしかにその通りではあるのだが、その一方で、あまり芳しくない出来と思しき記事も中には少なからず存在するものと考えられる・・これらに関しては、それら記事を削除するよりも、そのまま保持し、更なる記事の投稿を以て、実質的な意味で500記事到達にすれば良いのではないか、そして、それ以前にとりあえず目標としている、全体としての500記事到達を目指す方が先決はあるまいか・・?」

と考えるに至り、勇気をもって棚上げし(笑)以降、記事作成を続けることにしました・・(笑)。

そういえば、先日の「楡家の人びと」読了以来、大きな著作、長編には手を出しておりませんが、先週末に不図、朝永振一郎著の「量子力学と私」を読んでおりましたら、ついつい引き込まれてしまいました。

無論、そこに記されている専門的な概念、用語などは分からないものが数多くありましたが、それでも我が国の量子力学の黎明期である昭和初期(大学にその研究を教えることが出来る先生がいなかった)に著者を含む若い知性等が文字通り泥縄式に様々な手法を試み、互いに切磋琢磨し、徐徐にその学問(量子力学)を我が国に確立していく様が感じ取れ静かな興奮をおぼえました・・。

また、それと同時に今現在の未知の分野に挑んでいる方々も、おそらく表層からはあまり分からないのでしょうが、この著作に記されているのと類似した状況にあるのではないかと思います・・。

また、これが文系学問における研究となりますと、ハナシは多少異なってくるようであり、何と言いますか「自身が研究している内容に世の中の動きが追いかけてくる」といったところがあるのではないかと思われます・・(笑)。

このようなことを記しますと「それは単なる勘違い、迷信である!」と仰る方々が少なからず出てくるのではないかと思います・・。

また、自身も他者の研究にて、そうした現象を何度か認識、発見する以前は、概ねそのよう(勘違い、迷信)に考えておりました・・(自身もそうした錯覚らしきものを感じたことはあります・・(笑)。)

そして、こうしたことを記しておりますと「何か世の中の重大な秘密を漏らしているのではないか?」といった幾分誇大妄想的な考えが湧いてくるのですが(笑)、果たしてこれは、そこまで重大な「秘密」であるのでしょうか・・?

あるいは単なる勘違い、迷信といったものであるのでしょうか?
ともあれ、それは何れであっても構いませんが、ただ思うことは、我々人間とは、何かに継続的に無心に打ち込んでいる時に得ている不可知の感覚により、半ば無意識的にではあるかもしれませんが、一時的に少し先(未来)の集合的無意識の世界への視野が開かれるのではないでしょうか・・?

しかしながら、これを記していて不図思ったことは、こうした感覚を得ることは、何も文系学問に限らず、理系学問においても同様に生じており、また、さきに挙げた著作量子力学と私」に描かれている内容の一側面も実はそうしたものではないかということです・・(笑)。

「語るに落ちる」とは、こうしたことかもしれません・・(苦笑)。

ともかく、そのように考えが落ち着いてきますと、私は「文系学問とは・・・」と、その重要性や特徴を述べながら、次第にその内容が広がり、文系のみに適応する内容ではなくなるといった傾向があるのかもしれません・・(苦笑)。

よく云えば内容に普遍性があるのか?あるいはベッタリとして特徴がないということになるのか分かりませんが、しかし、それでもこうした考えを文章として記しておくことは、未来の笑いのタネを提供するかもしれないという意味においては、わずかに有益であるものとします・・(笑)。

今回もここまで興味を持って読んで頂き、どうもありがとうございます。
さる熊本、山陰東部の大地震により被災された地域の出来るだけ早期の復旧そして、その後の復興を祈念しております。」

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性格、性質の根源および教育などについて

A「最近求職活動の方は順調ですか?」


B「ええ、まあボチボチ動きはあるのですが、まだ口外できる程のものではありません・・しかし以前よりも何故だか少し進展しやすくなってきたような感じを受けるのですが、これは景気の為でしょうかね?」


A「・・それはよくわかりませんが、比較的順調に進んでいるのでしたら良いと思います。
あと他に何か変ったことなどはありましたか?」


B「・・そうですね、これまで何度か学位など持っていなければ良かったと求職活動を通じて思いましたが、それは今考えてみますと、もしかしたらブラック企業避けの意味はあったのではないかとも思います・・(苦笑)。
ですから、これはこれで良かったのかもしれません・・未だその判断をくだすことは難しいですが・・。
ともあれ、文系、理系何れであれ、学位とは、あれば、あった方が良いのかもしれません・・。
まあ、私の場合かなり特殊ではありますが・・(苦笑)。
それと、つい先日、履歴書を手書きで書き、出来上がったものを見てみますと、我ながらその悪筆ぶりに多少辟易としたのですが、このことから、手書きの文字は上手い方が良いとは思いますが、しかし一方において、悪筆であることを常識的でないと見るような傾向があるとすれば、それは迷信に類する偏見であるのではないかとも思うのですが・・。
そのことを自身に即していいますと、私は自然な悪筆を生む左利き(笑)であり、且つ周囲にいうとあまり良い顔をされない血液型の代表であるB型でもあるのです・・。
この二つの要素が重なると変っていると思われるのが通例であり、このことに関しては私自身一時期多少深刻に悩んだこともあります・・(苦笑)。
しかし、私の師匠の御一人もこの二つの要素を兼ね備える方であり、また、そのことを周囲に誇り「左利きのB型は天才肌である。」と仰っていて、そこから単純に勇気を与えられ、その後益々この師匠を師事することにしました(笑)。」


A「・・ううむ、私もたしかに手書きの文字はあまり自信がなく、むしろ逆に積極的に下手な方であると思いますが(笑)、それでもそこから何かしらの実害をこうむったような経験は無いような気がしますが・・。
また、その「左利きのB型は天才肌」というのは本当なのですか?」


B「その点は私自身検証したことはないので、何ともいえませんが、ただ、その師匠はやはり様々な意味で突出している才能を持っておられるのではないかと感じさせることが多くありました・・。
具体例は個人特定になるかもしれませんので言いかねますが・・。
また、私に関していえば、おそらく才能、知能の明暗が割合はっきりしているのではないかと思います・・。
ですから就く仕事に関しては、かなりシビアに選択しなければならないのではないかと思います・・。
これを「わがまま」といわれたらそれまでなのですが、一方誰でも自信を持って自身の仕事をしたいと思うことは自然であると思いますので、それは何といわれようとも、単なる干渉の域を出ないのではないかと思いますが・・。
ともあれ、私の場合、具体的には何故だか学校の成績とは関係なく歴史、社会は変らずに好きでした・・また途中から現代文なども好きになって行きました・・。
ですから徐々に好きになってゆく科目が増えていったような気がしますね・・。
そして、その核となったものが私の場合やはり歴史、社会であったのではないかと思います・・。
また、その原因とは構造主義的に考えれば周囲の環境であり、具体的には、そういった知識、世界観を面白く話してくださる方々が多かったからではないかと思います・・。
その意味において、さきの師匠もAさんも同様に私に対し、かなり大きな影響を与えてくださったのではないかと思います・・。
しかし同時に私の場合、一つの研究分野における圧倒的な知識およびその自覚といったものがなく、それが私の強みであり同時に弱みではないかと思っています・・。」


A「ふーん、そんなものですかねえ・・。
まあ、それでもたしかにBさんはこれまでに幾つかの学問分野を横断してきたことから、周囲には様々な分野の方々がいると思うので、そこからBさんのようになるのはもしかしたら自然であるのかもしれませんね・・。」


B「ええ、それに加えて私個人の自覚、知覚として修士院生の頃に様々な専攻の院生達が集まり、色々と議論した経験がその後大きな影響を与えたのではないかと思います・・。
そして、その経験がなければ、先ほどの左利きのB型の師匠に巡りあうことも出来なかったと思いますし、また様々な貴重な経験を得ることもできなかったのではないかと思います・・。
ですから私からすれば、修士院生時のこの議論の経験とは、決して意図された作為的なものでなく、自然な流れでそうなったと思うのですが、実はそれが大変良かったのではないかと思うのです・・。
そして、この個人的経験を踏まえ、思うことは、現在の特に地方国公立大学に対する文系不要論的な圧力により、各々地方に根差し成長を遂げてきた大らかな、自由度の高い知性の発展を促すメカニズム、仕組みが大幅に阻害、封殺されてしてしまうのではないかという危惧です・・。
そして実はこのメカニズム、仕組みこそが戦前からの各地の文化に根差した旧制高校大学予科、旧制高等専門学校そしてその後継の高等教育機関が有していた良質な文化の真髄ではないかと思うのです・・。
しかしながら、たしかにこうした意見は単なるアナクロニズム、センチメンタリズムに基づくものであると考えられるかもしれません、ただ、こうした意見を云わせる程に現在の特に文系の高等教育機関を巡る状況は変転しつつあるのではないかと思うのです・・。」


A「・・・たしかに現在の高等教育機関の特に文系分野における状況は芳しくないでしょう・・。
そしてそれに対し唯々諾々と従わなくてはいけないことに憤りに近いものをおぼえることもあります・・。
しかし、私はこうした状況とは、たとえ少子高齢化が進行するとしても、そんなに長く続くものではないのではないと考えます。
各々の高等教育機関が本当にその地域の文化に根差したものであるならば・・。」


B「ええ、結局それも各々組織が立地する地域の日常的な文化との係わり合いが分水嶺、分岐点になるのだと思います・・。
ともあれ、これは決して楽観視はできないと思いますが・・。」

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日本刀について・・

ウィンストン・チャーチルの戦争についての記述」とあわせて読んでみてください。

A「やあ、久しぶり。最近調子はどうですか?」

B「ええ、相変わらずです。パートで働きながら求職活動を続けていますよ。」

A「そうですか、今度はあまり以前ほど手当たり次第に応募しない方が良いですよ。」

B「ええ、アドバイスどうもありがとうございます。
ですから今回は結構絞って行っているつもりです。
しかし、あまり絞り過ぎるのも良くないですからね・・この見極めが結構難しいのです・・。
そういえば、先日本屋に行きましたら、最近はどうも日本刀が静かなブームの様ですね。
関連する雑誌、書籍が多く出ていましたよ。
これは大変面白いですね。
最近の日本社会の排外的いや国粋主義的な傾向を示しているんでしょうかね・・?」

A「確かに城、甲冑、日本刀みたいなものが流行るのは大体そういう時期だと思いますから・・。
それに日本人の特に男性は日本刀にどうも強い思い入れがあるようですからね・・・
終戦直後にGHQがテコ入れしたくらいですから。
あと、それに加えて特に最近の特に若い世代について云えるのは幕末を舞台にしたものや、舞台、時代設定が和洋折衷の海賊を扱ったマンガからの影響などがあるのではないでしょうか?」

B「そうですね。バスケットボールのあの有名なマンガから例の海賊ものや巨人と戦うものまで、大勢でその背景世界、価値観を共有できるこれらのいわゆる「国民的」なマンガとは、ある意味、現代の神話といってもいいかもしれません。」

A「ああ神話ですか・・確かにそうかもしれませんね。
しかしそうだとすると、我々の世代の神話って何でしょうかね?」

B「我々の世代には沢山の操縦ロボットものに加え、昔からのマンガの巨匠の作品がまだ同時代のものとしてありましたから、それらが神話としてのマンガにあたるのではないでしょうかね?
しかし、私の場合どういうわけか途中から小説ばかり読むようになってしまいましたが・・。」

A「それでしたら私もそうかもしれません・・。
あと私の場合はこれまたどういうわけだか古典ばかり読むようになりましたね・・こういうのは環境あるいは自身の性質によるものなのかは今でもよくわかりません・・。
ちなみにBさんはどういう小説を読むようになったのですか?」

B「色々な話でよく出しているのでお分かりかもしれませんが司馬遼太郎はよく読んでいて、小学校高学年あたりから現在に至るまで、何となく引っ張り出してきては読んでいます。
そしてその当初の時期と被りながら夏目漱石、海外の作品などにも徐々に手を出すようになっていきましたね・・。
そういえば、先ほどの話に戻りますが、司馬遼太郎の作品にも日本刀にまつわる話が結構ありました・・。
例えば清河八郎と七星剣についてや、近藤勇の虎徹、沖田総司の菊一文字や、高杉晋作田中光顕をとり結んだ刀とか、坂本龍馬陸奥守吉行とか、まあ今ざっと思い出してもこれくらいあります。
しかし、よく考えてみると司馬遼太郎は戦時中に軍刀ですが実際に御自身で日本刀を扱っていたわけですが、それについての記述はこれまでに読んだ記憶がありませんね・・。」

A「まあ昭和の軍刀と日本刀はまた別物ですからね、確かに双方共に形状は似ていますが、大半の軍刀は大量生産のいわば工業製品ですからね。
さらに下士官用の軍刀などになりますと見るからに工業製品でして、これはこれで工業製品に見られるような実用的な美しささえ感じさせます。そしてこれらは当時、アメリカから輸入されたスクラップの自動車の板バネからも作られていた様で「スプリング刀」という言葉も確かその当時のものではないでしょうか?」

B「そうです。そしてそのあたりのことは確か山本七平著作に多く書かれています。彼も戦時中フィリピンの戦場にて実際に軍刀を扱っていましたから。
しかし、戦場における軍刀の様々な生々しい記録を読みますと、現在の日本刀ブームも何やら日本社会の持続する重低音の様な、あるいは流行神(はやりがみ)信仰の様にも見えます。
何故なら日本刀であろうと他の国のどの武器であろうと、武器は武器つまり人を殺す道具ですから、本質的に中国の青竜刀、コサックのシャシュカ、古代ローマグラディウスなどと変りはないはずです。
しかしそれでもその背景の物語、伝説などを絶対化し、特別視、神聖視しようとするのは北清事変における義和拳と同じ様な傾向があるのではないでしょうか?
そういうものは確かに人々をまとめ上げ、気勢を上げるのには有効であるのかもしれませんが、科学技術、知識がここまで発展、普及した現在においてはどうしても(局外者、部外者から見れば)アナクロニズム、時代錯誤的にしか見えないはずです。
そして、そういった時代状況においてもなお、こういった流行現象が見られるのはどうも不思議であり傍目からのん気に見れば面白いわけです。
さらに加えてこのテーマを戦時中に置いてみますと、第二次世界大戦当時の各国軍隊で指揮官クラスが戦場において帯刀していたのは旧日本軍ぐらいだったのではないでしょうか?
日本に西洋式の軍隊が導入された当時、つまり19世紀後半あたりにおける西欧諸国の軍隊では、それ(帯刀)が中世の騎士からの伝統で普通であったのかもしれませんが、その後の更なる銃火器の発展等による戦闘様相の変化から指揮官クラスの帯刀とは西欧諸国において不要、不都合なものとなり、徐々に廃れていった(下に示す動画を御覧ください。)のですが、日本においてはそれがおそらく同時期あたりから不思議なことに逆に活性化、強化された様に思われます。
これは日本が第一次世界大戦をその主戦場にて経験しなかったからであるという様な単純な外的要因によるものだけではないと考えます。
そして、さらにこれと類似の現象として、東アジア規模における日本の銅鐸、そして日本国内地域毎における銅鐸の意匠を含む形状、寸法などの相異が挙げられるのではないかと考えます。
そしてここまで考えると、今度は福沢諭吉の「文明論の概略」で述べられている日本人の好ましからぬ傾向としての「惑溺」が挙げられるのではないかと思います。
この福沢諭吉の云うところの「惑溺」とは、まあ平たく云えばフェティシズムみたいなもので、何らかの物体なり観念を絶対化して神聖視する様な傾向です。
こういうのは、あるいはまた別の云い方をすればカルトともなりますが、どうも我々日本人とはこういうものに大変弱いというか、受容的というか、よく分からない性質を持っていると思います。
そしてその背後にあるのがそういったフェティシズム、カルトの核となるものに対しての凝集性の強さ、あるいは凝固の早さが挙げられると思います。
これについて最近思うのは、よく云われる「空気を読む」の「空気」そしてその起因の背景には日本が比較的温暖湿潤な島国であることからこの様になるのではないかということですが。これは今後更に考える必要があります・・。」

A「最後の方はどうもよくわかりませんが、何となくは分かりました。そして追加として、先ほど私が云った舞台、時代設定が和洋折衷の海賊のマンガの作者は確か熊本県御出身なのですが、熊本と云えば、明治初期確か9年(1876)でしたかね?神風連の乱が起きた場所でしてね、これはその前に出された廃刀令に反対、抗議するものであり、先ほど仰った日本刀に対する、何ですか、その「惑溺」に関連するのではないかと思いました。
しかし同時に、こういった解釈で両者(神風連の乱、マンガ作者の出身地)を短絡的に結びつけるのも「如何なものか?」あるいは少し云い方は悪いかもしれませんがいかにも第三者的、外国人的すぎる発想であるのではないかとも思います。
何故ならば、この神風連の乱が生じるまでの経緯を在地者の視点で述べられている「石光真清の手記」などを読みますと、どうもその様な解釈とは、表層的過ぎる、あるいはその当時の決起した人々の止むに止まれぬ状況を無視し過ぎているのではないかと考えさせるからです。しかし一方において歴史とは、その様な主体者の事情、内実をも吞み込んで進行してゆくものであることから、こういうものを結びつける考察、解釈とは実に難しいのではないかと考えさせられます・・。」

B「それはまったく仰る通りであると思います。
そしてそれだからこそ、西郷隆盛は逆賊の将であると同時に英雄でもあるのではないでしょうか?
そして、これを一面的、一方的に解釈してしまっては、それこそ「歴史の神様に申し訳ない」のではないでしょうか?
また、本来こういったことは国内の歴史のみならず国家間の歴史の認識においても適応できるのではないかとも考えます。・・しかし、まあ、これが国際的なものだけに更に難しいのでしょう・・。」

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